三島由紀夫 (Mishima) · 春の雪 (Spring Snow)

Part I

§1

春の雪学校で日露戦役の話が出たとき、松枝清顕は、もっとも親しい友だちの本多繁邦に、そのときのことをよくおぼえているかときいてみたが、繁邦の記憶もあいまいで、提灯行列を見に門まで連れて出られたことを、かすかにおぼえているだけであった。 あの戦争がおわった年、二人とも十一歳だったのであるから、もう少し鮮明におぼえていてもよさそうなものだ、と清顕は思った。 したりげにそのころのことを話す級友は、大てい大人からの受売りで、自分のあるかなきかの記憶を彩っているにすぎなかった。 松枝一族では、清顕の叔父が二人、そのときに戦死している。 祖母は今でも息子二人のおかげで、遺族扶助料をもらっているが、その分は使わずに、神棚に上げっぱなしになっている。 そのせいかして、家にもある日露戦役写真集のうち、もっとも清顕の心にしみ入る写真は、明治三十七年六月二十六日の、「得利寺附近の戦死者の弔祭」と題する写真であった。 セピアいろのインキで印刷されたその写真は、ほかの雑多な戦争写真とはまるでちがっている。 構図がふしぎなほど絵画的で、数千人の兵士が、どう見ても画中の人物のようにうまく配置されて、中央の高い一本の白木の墓標へ、すべての効果を集中させているのである。 遠景はかすむなだらかな山々で、左手では、それがひろい裾野を展きながら徐々に高まっているが、右手のかなたは、まばらな小さい木立と共に、黄塵の地平線へ消えており、それが今度は、山に代って徐々に右手へ高まる並木のあいだに、黄いろい空を透かしている。 前景には都合六本の、大そう丈の高い樹々が、それぞれのバランスを保ち、程のよい間隔を以てそびえ立っている。 木の種類はわからないが、亭々として、梢の葉叢を悲壮に風になびかせている。 そして野のひろがりはかなたに微光を放ち、手前には荒れた草々がひれ伏している。 画面の丁度中央に、小さく、白木の墓標と白布をひるがえした祭壇と、その上に置かれた花々が見える。 そのほかはみんな兵隊、何千という兵隊だ。 前景の兵隊はことごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた斜めの革紐を見せて背を向け、きちんとした列を作らずに、乱れて、群がって、うなだれている。 わずかに左隅の前景の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のように、こちらへ半ば暗い顔を向けている。 そして、左奥には、野の果てまで巨大な半円をえがく無数の兵士たち、もちろん一人一人と識別もできぬほどの夥しい人数が、木の間に遠く群がってつづいている。 前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ微光に犯され、脚絆や長靴の輪郭をしらじらと光らせ、うつむいた項や肩の線を光らせている。 画面いっぱいに、何とも云えない沈痛の気が漲っているのはそのためである。 すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向って、波のように押し寄せる心を捧げているのだ。 野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思いが、中央へ向って、その重い鉄のような巨大な環を徐々にしめつけている。 ……古びた、セピアいろの写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないように思われた。 清顕は十八歳だった。 それにしても、彼がそういう悲しい滅入った考えに、繊細な心をとらわれるには、その生れて育った家は、ほとんど力を及ぼしていない、と云ってよかった。 渋谷の高台のひろい邸で、彼に似通った心事の人を、探すのにさえ骨が折れた。

§2

武家でこそあれ、父侯爵が、幕末にはまだ卑しかった家柄を恥じて、嫡子の清顕を、幼時、公卿の家へ預けたりしなかったら、おそらく清顕は、そういう心柄の青年には育っていなかったろうと思われる。 松枝侯爵邸は、渋谷の郊外の広大な地所を占めていた。 十四万坪の地所に、多くの棟が甍を競っていた。 母屋は日本建築だったが、庭の一角にはイギリス人の設計師の建てた壮麗な洋館があり、靴のまま上れる邸は、大山元帥邸をはじめとして、四つしかないと云われていたその一つが、松枝邸なのであった。 庭の中心は、紅葉山を背景にしたひろびろとした池であった。 その池ではボートあそびもでき、中ノ島もあり、河骨も花咲き、蓴菜もとれた。 母屋の大広間もこの池に面し、洋館の饗宴の間もこの池に臨んでいた。 岸辺や島のあちこちに配された灯籠は二百にのぼり、島には鉄の鋳ものの鶴が三羽立っていて、一羽はうなだれ、二羽は天を仰いでいた。 紅葉山の頂きに滝口があり、滝は幾重にも落ちて山腹をめぐり、石橋の下をくぐり、佐渡の赤石のかげの滝壺に落ちて、池水に加わり、季節には美しい花々をつける菖蒲の根を濯った。 池では鯉も釣れ、寒鮒も釣れた。 侯爵は年に二度、小学生たちの遠足がここへ来るのを許していた。 清顕が子供のころ、召使におどかされて、怖れていたのは鼈であった。 それは祖父が病気になったとき、力をつけるために百疋の鼈が贈られ、それを池に放生したのが殖えたのだが、指を吸いつかれたら最後、とれなくなるという話を、召使たちがしたのである。 茶室もいくつかあり、大きな撞球室もあった。 母屋の裏には祖父の植えた檜林があり、そのあたりで自然薯がよくとれた。 林間の小径は、一つは裏門へ出るが、一つは平らな丘へむかってのぼってゆき、家中が「お宮様」と呼んでいる社殿が、ひろい芝生を控えている一劃に出た。 そこには祖父と二人の叔父が祠られている。 石段や石灯籠や石の鳥居は型どおりだが、石段の下の左右、ふつうなら狛犬のあるべきところに、日露戦役の大砲の弾丸が一対、白く塗って据えつけてある。 社殿より低いところに稲荷も祠られ、その前にみごとな藤棚があった。 祖父の命日は五月の末だったから、そのお祭に一家がここに集まるときには、藤はいつも花ざかりで、女たちは日ざしを避けて、藤棚の下に集うた。 すると、いつもよりひとしお念入りにお化粧をした女たちの白い顔には、花の藤いろの影が、優雅な死の影のように落ちた。 女たち……。 豊饒の海実際この邸には、数知れぬほどの女たちが住んでいた。 筆頭は云うまでもなく祖母だったが、祖母は母屋からかなり離れた隠居所に住み、八人の祖母附の女中に傅かれていた。 雨の日も晴れの日も、朝、身じまいをすませると、母は二人の召使を連れて、祖母の御機嫌伺いにゆくのが習慣であった。

§3

そのたびに、姑は母の姿をと見こう見して、「その髪はあなたに似合わないね。 あしたはハイカラにしてごらん。 そのほうがきっとお似合いだから」と慈愛の目を細めて言った。 そしてあくる朝ハイカラに結ってゆくと、「どうも都志子さんは、古風な別嬢だから、ハイカラは似合わないね。 あしたはやっぱり丸髷にしてごらん」と言った。 こうしたわけで清顕の知るかぎり、母の髪型はたえず変っていた。 邸には髪結が弟子もろとも入りびたりになっており、主人の髪はむろんのこと、四十人をこえる女中の髪の面倒を見ていたが、この髪結が男の髪に関心を持ったのは、ただ一度、清顕が学習院中等科一年のとき、宮中の新年賀会に、お裾持で出た折だけであった。 「いくら学校で丸坊主がきまりだと云っても、今日お召しになるそんな大礼服には丸坊主はいけませんや」「だって、伸ばしたら叱られるもの」「ようがす。 私がちょっと形をつけて差上げましょう。 どうせ帽子をお冠りなさるんだろうが、脱ぎなすったとき、ほかの若様方より格段に男ぶりが上って見えなさるように」そうは云っても、十三歳の清顕の頭は、青く見えるほどに涼しく刈り上げられていた。 髪結の入れてくれる櫛目は痛く、髪油は肌にしみ、彼がどんなに腕前を誇っても、鏡に映る頭は変りばえがしては見えなかった。 しかしこの賀宴で、清顕は、めずらしいほどの美少年の誉れを得た。 明治大帝は一度この邸にも御幸があり、そのときのおもてなしに、庭で天覧相撲が催され、大銀杏を中心に幔幕を張りめぐらし、洋館の二階のバルコニーから、陛下は角力をごらんになった。 そのときお目通りを許されて、頭を撫でていただいてから、この新年のお裾持まで、四年を経ているけれど、陛下はまだ顔をおぼえていて下さるかもしれない、と思って、清顕は髪結にもそう言った。 「そう、そう、若様のお頭は、天子様に撫でていただいたお頭でしたっけ」と髪結は畳の上を退って、まじめに清顕の、まだ幼なさのこっている後頭部へ向って柏手を打った。 お裾持の小姓の服は、膝の下まで届く半ズボンと上着がそろいの藍の天鵞絨地で、胸の左右に四対の大きな白い鞠毛がつき、同じふくよかな白い鞠毛が左右の袖口にも、ズボンにもついていた。 腰には剣を佩き、白靴下の足には黒エナメルの釦留めの靴を穿いた。 白いレースのひろい襟飾りの中央に、白絹のタイを結び、大きな羽根飾りのついたナポレオン風の帽子は、絹の紐で背へ吊られていた。 華族の子弟のうちから、成績のよい子だけが二十人あまり選ばれ、新年の三日間、かわり合って、皇后のお裾は四人で持ち、妃殿下方のお裾は二人で持つ。 清顕は皇后のお裾を一度と、春日宮妃殿下のお裾を一度持った。 皇后のお裾にまわったときは、舎人たちが麝香を焚きしめたお廊下を、しずしずと謁見の間まで進み、賀宴がはじまる前、謁見される皇后のうしろに侍立していた。 皇后は気品の高い、比類のない聡明な方だったが、このときはすでにお年を召されて、六十に垂んとするお齢であった。 それに比べて、春日宮妃は三十そこそこのお年頃で、お美しさといい、気品といい、堂々としたお体つきといい、花の咲き誇ったようなお姿だった。 今も清顕の目にうかぶのは、諸事地味ごのみの皇后のお裾よりも、黒い斑紋の飛ぶ大きな白い毛皮のまわりに、無数の真珠を鏤めた妃殿下のお裾のほうである。 皇后のお裾には四つの、妃殿下のお裾には二つの把手がついていて、清顕たち侍童は何度も練習を重ねていたから、一定の歩度で、その把手を持って歩くのに難儀はなかった。

§4

妃殿下のお髪は漆黒で、濡羽いろに光っていたが、結い上げたお髪のうしろからは、次第にその髪の名残が、ゆたかな白いおん項に融け入ってゆき、ローブ・デコルテのつややかなお肩につらなるのが窺われた。 姿勢を正して、まっすぐに果断にお歩きになるから、御身の揺れがお裾に伝わってくるようなことはないのだが、清顕の目には、その末広がりの匂いやかな白さが、奏楽の音につれて、あたかも頂きの根雪が定めない雲に見えかくれするように、浮いつ沈みつして感じられ、そのとき、生れてはじめて、そこに女人の美の目のくらむような優雅の核心を発見していた。 春日宮妃は、お裾にまでふんだんに仏蘭西香水を染ませておいでだったから、その薫りは古くさい麝香の香を圧した。 お廊下の途中で、清顕がちょっとつまずいて、お裾はそのために、瞬間ではあったが、一方へ強く引かれた。 妃殿下はかすかにお首をめぐらして、少しも咎める気持はないというしるしの、やさしい含み笑いを、失態を演じた少年のほうへお向けになった。 妃殿下は、それとわかるほどはっきりと振向かれたのではなかった。 まっすぐに背筋を立てたまま、片頬の端だけを心持向けられて、そこに微笑をちらと刻んでおみせになったのである。 そのとき、屹立する白い頬のかたえに、ほのかに鬢の毛が流れ、切れ長のおん目のはじに、黒い一点のきらめく火のような微笑が点じられ、形のよいお鼻筋は、何事もなくそのかなたに清く秀でているさま、……こういう妃殿下の、横顔とさえ云えぬ角度の一瞬のお顔のひらめきが、何かの清い結晶の断面を、斜めに透かし見るときに、ほんの一刹那ゆらめいてみえる虹のように感じられた。 さて、父の松枝侯爵は、この賀宴で目のあたりわが子を見、その華美な礼服に包まれたわが子の晴れの姿を眺めたときに、永年夢みていたことが、実現されたという喜びに酔った。 それこそは、どんなに天皇を自邸へお迎えするほどの身分になろうと、侯爵の心を占めていた贋物の感じを、のこりなく癒やすものであった。 そのわが子の姿に、侯爵は、宮廷と新華族とのまったき親交のかたち、公卿的なものと武士的なものとの最終的な結合を見たのである。 侯爵は又、賀宴のあいだ、わが子について語られる人々のほめ言葉に、はじめは喜び、おしまいには不安になった。 十三歳の清顕は美しすぎた。 ほかの侍童と比べても、清顕の美しさは、どんなひいき目もなしに、際立っていた。 色白の頬が上気してほのかに紅をさしたように見え、眉は秀で、まだ子供らしく張りつめて懸命にみひらいている目は、長い睫にふちどられて、艶やかなほどの黒い光りを放った。 人々の言葉に触発されて、侯爵ははじめて自分の嫡子の、あまりの美しさに、却って果敢ない感じのするような美貌に、はじめて目ざめた。 侯爵の心には不安が兆した。 しかしきわめて楽天的な人だったから、こんな不安は、その場かぎりで、忽ち心から洗い去られた。 むしろこうした不安は、清顕のお裾持の年の一年前に、十七歳でこの邸に住み込んだ飯沼の胸に澱んでいた。 飯沼は清顕附の書生として、鹿児島の郷里の中学校から推薦を受け、学業にも体格にも秀でた少年の誉れを担って、松枝家へ送られて来た。 松枝侯爵の先代は、その地では豪宕な神と見做され、彼は侯爵家の生活を、家庭や学校で語り伝えられた先代の面影をとおしてだけ想像していた。 しかしここへ来て一年のあいだに、侯爵家の奢侈はすべて彼の脳裡の像に逆らって、素朴な少年の心を傷つけた。 他のことには目をつぶることもできるが、自分に託された清顕にだけはそうすることができない。 清顕の美しさ、ひよわさと、そのものの感じ方、考え方、関心の持ち方、すべてが飯沼には気に入らなかった。 侯爵夫妻の教育の態度も、意表に出ることばかりであった。

§5

『俺がたとえ侯爵になっても、俺の子だったら、決してこんな風には育てない。 侯爵は先代の御遺訓をどう思っておられるのだろうか』飯沼は先代のお祭だけはねんごろに執り行ったけれども、ふだん先代に言及することがあまりにも少なかった。 飯沼はもっとたびたび侯爵が先代の思い出について語り、そのときに多少とも、先代に対するやさしい追慕の情を示してくれたらと夢みたが、この一年でこうした望みも消えた。 清顕がお裾持の務めを終って帰った晩、侯爵夫妻は内輪ながらそのお祝いの宴を張った。 十三歳の少年が面白半分に強いられた酒に頬を染めて、寝床へいそぐ時刻が来て、飯沼は彼を扶けて寝室までついて行った。 少年は絹物の蒲団に身を埋め、枕に頭を委ねて、熱い息を吐いた。 短かい髪から緋いろの耳もとへつづくあたりに、内部の脆い硝子の機構が窺われるほど格別に薄い肌が、ときめいている青筋を浮き出させていた。 唇は薄闇のうちにも紅く、そこから吐かれる息の音は、このすこしも苦悩のきびしさなど知らないようにみえる少年の、戯れに苦悩を摸している歌かときこえた。 長い睫、よく動く薄いなよやかな水棲類の瞼……飯沼はこういう顔に、今夜、栄えある任務を果した雄々しい少年の、感激と忠誠の誓いを期待することはできないのを知った。 又みひらいて天井を見ている清顕の目が潤んでいる。 この潤んだ目にみつめられると、すべては飯沼の意に反しているのに、彼は自分の忠実を信ずる他はなくなった。 清顕が暑そうに、なめらかなほの紅い裸の腕を、頭のうしろへ組もうとするので、飯沼は掻巻の襟を引き上げてやって、こう言った。 「風邪を引きますよ。 もう寐まれたほうがよかです」「ねえ、飯沼。 僕は今日ひとつ失敗をしたんだ。 お父様にもお母様にも内緒にしてくれれば教えて上げよう」「何ですか」「僕、今日、妃殿下のお裾を持ちながら、ちょっとつまずいてしまったんだ。 妃殿下はにっこりして恕して下さったよ」飯沼はその言葉の浮薄、その責任感の欠如、その潤んだ目にうかぶ恍惚をことごとく憎んだ。 二こうして十八歳になった清顕が、だんだん自分の環境から孤立してゆく思いにとらわれたのは当然だろう。 孤立してゆくのは、家庭からばかりではない。 学習院が院長乃木将軍のあのような殉死を、もっとも崇高な事件として学生の頭に植えつけ、将軍がもし病いに死んでいたら、それほど誇張した形であらわれなかったろう教育の伝承を、ますます強く押しつけてきたことから、武張ったことのきらいな清顕は、学校に漲っている素朴で剛健な気風のゆえに学校を嫌った。 友だちと云っては、同級生の本多繁邦だけと親しく附合った。 もちろん清顕と友だちになりたがる人は多かったけれども、彼は同年の野卑な若さを好まず、院歌を高唱してうっとりしたりする粗雑な感傷を避け、その年齢にしてはめずらしい本多の、もの静かな、穏和な、理智的な性格にだけ心を惹かれた。 そうかと云って、本多と清顕は、外見も気質もそんなに似通っているというのではなかった。 本多は年よりも老けた、目鼻立ちも尋常すぎて、むしろ勿体ぶってみえる風貌を持ち、法律学に興味を持っていたが、ふだんは人に示さない鋭い直観の力を内に蔵していた。 そしてその表面にあらわれるところでは、官能的なものは片鱗もなかったけれど、時あってずっと奥処で、火の燃えさかって薪の鳴っている音がきこえるような感じを人に与えた。

§6

それは本多が、やや近眼の目を険しく細め、眉を寄せて、いつもは強く締めすぎる唇を性のようにひらくような表情をするときに窺われた。 もしかすると清顕と本多は、同じ根から出た植物の、まったく別のあらわれとしての花と葉であったかもしれない。 清顕がその資質を無防備にさらけ出し、傷つきやすい裸かで、まだ自分の行動の動機とはならぬ官能を、春さきの雨を浴びた仔犬のように、目にも鼻にも滴をなして宿しているのと反対に、本多は人生の当初はやくもその危険を察して、その明るすぎる雨を避けて、軒下に身をちぢめているほうを選んだのかもしれない。 しかしこの二人が、世にも親しい友だちであったことはたしかで、学校で毎日顔を合わせるだけでは足りずに、日曜には必ずどちらかの家へ行って終日すごした。 もちろん清顕の家のほうがはるかにひろく、散策の場所にも恵まれていたので、本多が来る数のほうが多かった。 大正元年の十月、紅葉が美しくなりかけた或る日曜日に、本多は清顕の部屋へ遊びに来ていて、池のボートに乗ろうと云った。 例年なら紅葉の客がそろそろ多くなる季節であるが、この夏の御大喪のあと、松枝家はさすがに派手な交際を慎しんでいたので、庭もいつにまして深閑として見えた。 「それじゃ、あのボートは三人乗りだから、飯沼に漕がして僕らが乗ろう」「何だって人に漕がす必要があるんだ。 俺が漕ぐよ」と本多は、さっき玄関からこの部屋まで、案内の要る筈もない本多を黙って執拗に丁重に案内してきた、あの暗い目をした、いかつい顔立ちの青年を思い浮べた。 「本多はあいつが嫌いだね」と清顕は微笑を含んで言った。 「嫌いというわけじゃないが、いつまでたっても気心が知れないんだ」「あいつはもう六年もここにいるから、僕にはもう空気のような存在なんだ。 あいつと僕がお互いに気が合っているとも思えない。 そのくせあいつは僕には献身的だし、忠義者で勉強家で堅物だよ」清顕の部屋は母屋の外れの二階にあった。 もともとは和室ながら、絨毯や洋家具を入れ、洋間風にしつらえてある。 本多は出窓に腰かけていて、身をひねって、紅葉山と池と中ノ島の全景を見る。 池水は午後の陽に和んでいる。 ボートのつながれた小さな入江はすぐ下方にある。 そして又、友の倦そうな風情をうかがい見る。 清顕は何でも進んで先に立ってやるということがなく、気に染まぬ様子ではじめてそれなりに興じることもあるのだ。 従って何かにつけて本多が提唱し、本多が引きずって行かなければならない。 「ボートが見えるだろ」と清顕が言った。 「ああ、見えるさ」と本多は怪訝そうに振向いた。 ……清顕はそのとき何を言おうとしたのか。 強いて説明すれば、彼は何事にも興味がないと言おうとしたのだ。 彼はすでに自分を、一族の岩乗な指に刺った、毒のある小さな棘のようなものだと感じていた。

§7

それというのも、彼は優雅を学んでしまったからだ。 つい五十年前までは素朴で剛健で貧しかった地方武士の家が、わずかの間に大をなし、清顕の生い立ちと共にはじめてその家系に優雅の一片がしのび込もうとすると、もともと優雅に免疫になっている堂上家とはちがって、たちまち迅速な没落の兆を示しはじめるだろうことを、彼は蟻が洪水を予知するように感じていた。 彼は優雅の棘だ。 しかも粗雑を忌み、洗練を喜ぶ彼の心が、実に徒労で、根無し草のようなものであることをも、清顕はよく知っていた。 蝕ぼもうと思って蝕ばむのではない。 犯そうと思って犯すのではない。 彼の毒は一族にとって、いかにも毒にはちがいないが、それは全く無益な毒で、その無益さが、いわば自分の生れてきた意味だ、とこの美少年は考えていた。 自分の存在理由を一種の精妙な毒だと感じることは、十八歳の倨傲としっかり結びついていた。 彼は自分の美しい白い手を、生涯汚すまい、肉刺一つ作るまいと決心していた。 旗のように風のためだけに生きる。 自分にとってただ一つ真実だと思われるもの、とめどない、無意味な、死ぬと思えば生き返り、衰えると見れば熾り、方向もなければ帰結もない「感情」のためだけに生きること。 そうして、今は、何事にも興味がないのだ。 ボートだって? それは父にとっては、外国から輸入した、洒落た形の、青と白のペンキ塗りの小舟だった。 父にとっては、それは文化であり、文化が形をとった物質だった。 自分にとっては何なのだ。 ボートだって? ……本多は本多で、こんなときに清顕が突然陥る沈黙を、持ち前の直感でよく理解していた。 清顕と同年ののに、彼のほうはもう青年で、とにかく「有用な」人間になろうと決意した青年だった。 もうすっかり自分の役割を選んでいた。 そして清顕に対しては、いつも多少鈍感に粗雑にと心がけ、そういう巧まれた粗雑さなら、友によく受け容れられることを知っていた。 清顕の心の宵は、人工的な餌ならおどろくほどよく受け容れるのだ。 友情でさえも。 「貴様は何か運動をはしめるといいんだがな。 本を読みすぎるわけでもないのに、万巻の書を読み疲れたような顔をしている」と本多はけげんげに言った。

§8

清顕は黙って微笑していた。 なるほど本は読まない。 しかし夢は毎夜の夢の夥しさでは、万巻の書も敵わぬほどで、いかにも彼は読み疲れたのだ。 ……昨夜は昨夜で、彼は夢のなかで自分の白木の柩を見た。 それが窓のひろい、何もない部屋の只中に据えてある。 窓の外は紫紺の暗闇、小鳥の囀りがその闇いっぱいに立ちこめている。 一人の若い女が、黒い長い髪を垂らして、うつぶせにいて、細いなよやかな肩で飲泣している。 女の顔を見たいと思うけれな富士額のあたりがわずかに見えるだけだ。 そしてその白木の柩を、ひろい毛皮の、沢山の真珠の縁飾りのあるのが、半ば覆うている。 不明な光沢が、その真珠の一列にこもっている。 部屋には香の代りに、ような西洋の香水の匂いが漂っている。 清顕はいわば、中空からそれを見下ろし、柩の中に自分の亡骸が横たわっていると確信している。 確信しているけれど、どうしてもそれを見て、確かめてみたいと思う。 しかし彼の存在は朝の蚊のようにはかなげに中空に羽を休めるばかりで、決してその釘づけられた柩の中を窺うことはできない。 ……そういう焦躁がとめどもなく募るにつれて、目がさめた。 そして清顕はひそかにつけている夢日記に、昨夜のその夢を記した。 結局二人は舟附へ下りて、ボートの纜を解いた。 見渡す池の水面は、葉山を映して燃えている。 乗り移るときの身のやみくもな動揺が、清顕に、この世界の不安定も親しい感覚を呼び起した。 その瞬間、心の内面が、清く塗られたボートの舟べりに、大きく動いて鮮明に映るようだった。 そういうことかと思った。 本多はオールを岸の岩組に突いて、ボートをひろい水面へ遣った。 錆いろの水は砕け、なめらかな波紋は、そのまま清顕の放心を拡げた。 この深い咽喉から出る、野太い声のような暗い水音。 彼は自分の十八歳の秋の或る一日の、午後の或る時が、二度と繰り返されずに確実に辷り去るのを感じた。

§9

「中ノ島まで行ってみるか」「行ってみてもつまらないよ。 何もないよ」「まあ、そう言わずに、行ってみようよ」と本多は年相応の浮き立った少年らしさを、漕いでいる胸から出る活潑な声にあらわした。 清顕は、耳には中ノ島の向う側の滝の音をはるかに聴きながら、澱みと赤い反射のためにとく見えぬ池の中へ目を凝らした。 その中を鯉が泳ぎ、また水底の或る岩かげには龍がひそんでいることは知れていた。 心には幼ないころの恐怖が、かすかに蘇って、消えた。 日はうららかに射して、彼らの刈り上げた若々しい項に落ちた。 静かな、何事もない、富み栄えた日曜日であった。 それというのに、清顕は依然、水を充たした革袋のようなこの世界の底に小さな穴があいていて、そこから一滴一滴「時」のしたたり落ちてゆく音を聴くように思った。 二人は松のなかに一本の紅葉のある中ノ島へ辿りつき、三羽の鉄の鶴を据えた頂きの、丸い草地まで石段をのぼった。 天に向って嘯いている二羽の鶴の足もとに、二人は腰を下ろし、さらに仰向けに寝ころんで、よく晴れた晩秋の空を仰いだ。 芝草が二人の着物の背を刺し、それが清顕には苛酷に痛く、本多には、耐えなければならないもっとも甘い爽やかな苦難を、背に折り敷いているような感じを与えた。 そして二人の目のはじには、風雨に晒され、小鳥の糞に白く汚された鉄の鶴の、なだらかにさしのべられた頸の曲線が、雲の動くにつれて、ゆっくりと動いていた。 「すばらしい日だな。 こんなに何もなくて、こんなにすばらしい日は、一生のうちに何度もないかもしれない」本多は何かの予感に充たされてそう思い、そう口にも出した。 「貴様は幸福ということを言っているのか」と清顕は訊いた。 「そんなことを言った覚えはないよ」「それならいいけれど、僕には、貴様みたいなことはとても怖くて言えない。 そんな大胆なこととは」「貴様はきっとひどく欲張りなんだ。 欲張りは往々悲しげな様子をしているよ。 貴様はこれ以上、何が欲しいんだい」「何か決定的なもの。 それが何だかはわからない」とこの非常に美しい、何事も未決定な若者は慇懃に答えた。 こんなに親しくていながら、彼のわがままな心には、時々、本多の犀利な分析力と、その口ぶりの確信的な、「有為な青年」ぶりとが、煩わしく感じられた。 彼は突然、寝返りを打って、草を腹に敷いて、首をもたげ、池を隔てた母屋の大広間の前庭を遠く眺めた。 白砂のあいだの飛び石が池に達すると、そのあたりはことさら複雑な入江をなして、石橋が幾重にもかかっている。 そこに女たちの一群を認めたのである。 三清顕は友の肩をつついてそのほうへ注意を向けた。

§10

本多も首をめぐらして、草間から、水のかなたのその一群に目をとめた。 こうして二人は、若い狙撃兵のように窺っていた。 それは気の向いたときに母がする散歩の一群で、母のほかは側仕えの女共だけなのが例なのに、今日はなかに老若二人の客の姿がまじっていて、母のすぐうしろを歩いていた。 母や老婆や女共の着物は地味だったが、一人の若い客の着物だけは何か刺繍のある淡い水色で、白砂の上でも、水のほとりでも、絹の光沢が、冷たく、夜明けの空の色のように耀うていた。 又、そこからは、不規則な飛び石の足もとを構うらしい笑い声が秋空に流れ、しかもその清らかすぎる笑いに一種の作為があって、この邸の女たちのそんな様子ぶった笑い声が清顕はきらいだったが、本多は雌鳥たちの囀りをきいた雄鳥のように、目を輝やかせてくるのが清顕にもわかった。 二人の胸もとでは、晩秋の乾いてきた草の茎が脆く折れた。 清顕は水いろの着物の女だけは、そういう笑い声を立てぬだろうと信じた。 女共は、水ぎわから紅葉山へゆく小径の、わざと幾度か石橋を渡る難路を、主人や客の手を曳き、大仰に辿りだしたので、一群の姿は二人の目からは草のかげに隠れてしまった。 「貴様の家は全く女が多いなあ。 家は男ばかりのようなものだ」と本多は自分の熱意の言いわけをして立上り、今度は西側の松かげに倚って、女たちの行き悩むさまを眺めた。 紅葉山は西側に山ふところをひろげているので、九段の滝の四段までは西側にあり、佐渡の赤石の下の滝壺へ導かれる。 女たちはその滝壺の前の飛び石を渡ってゆくところで、そこらの紅葉は殊に色づいているので、第九段の小滝の白い飛沫さえ木叢に隠れて、そのあたりの水は暗赤色に染っている。 女中に手を引かれながら飛び石を渡る水色の着物の人の、うつむいた白い項を遠く望んだ清顕は、忘れがたい春日宮妃殿下の豊かな白いおん項を思い出した。 滝壺を渡ると、小径はしばらく平坦に水際を縁取り、岸はそれからもっとも中ノ島へ近づいてくる。 清顕はそこまで熱心に目で追ってきて、水色の着物の女の横顔に、聡子の横顔をみとめて落胆した。 どうして今まで、それを聡子と気づかなかったものであろう。 一途に見知らぬ美しい女だと信じ込んでいたのであろう。 相手が幻影を裏切ったとなれば、こちらも身を隠している必要はなくなった。 彼は草の実を袴から払いながら立ち上り、松の下枝から十分に姿をあらわして、「おおい」と呼んだ。 清顕のこんな突然の快活さに、本多もおどろいて身を伸ばした。 夢を裏切られたときに快活になるという友の持ち前を知らなかったら、本多は彼に先を越されたとさえ思ったにちがいない。 「誰だい」「聡子さんさ。 貴様にも写真を見せたことがあるだろう」と清顕は、その名を軽んじているさまを、語調にさえあらわして言った。 岸の聡子はたしかに美しい女だった。 しかし少年は断乎としてその美しさを認めないふりをしていた。

§11

なぜなら彼は、聡子が彼を好いていることをよく知っていたからである。 自分を愛してくれる人間を軽んじ、軽んじるばかりか冷酷に扱う清顕のよくない傾向を、本多ほど前々からよく察している友はなかったろう。 この種の倨傲は、十三歳の清顕が自分の美しさに対する人々の喝采を知ったときから、心の底にひそかに養われてきた黴のような感情だろうと、本多は推量していた。 触れれば鈴音を立てそうな銀白色の黴の花。 実際、友として清顕が彼に及ぼしている危険な魅惑も、正にそこに由来するものかもしれなかった。 清顕の友になろうとして失敗して、結局彼に嘲笑される羽目になった級友は少なくない。 本多一人は、そんな彼の冷たい毒に対して、うまく身を処してゆくという実験に成功したのだ。 誤解かもしれないが、彼があの暗い目をした書生の飯沼に抱く嫌悪は、飯沼の顔にこそ、彼があの見馴れた失敗者の面影を見るからであった。 ――聡子には会ったことのない本多も、その名については清顕の物語でよく知っている。 綾倉聡子の家は羽林家二十八家の一で、藤原鎌足の裔といわれる難波頼輔に源を発し、頼経の家から分れて二十七代目に、侍従となって東京へ移り、麻布の旧武家屋敷に住んでいたが、和歌と蹴鞠の家として知られ、嗣子は童形の時に従五位下を賜わり、大納言にまで進むことのできる家柄であった。 松枝侯爵は、自分の家系に欠けている雅びにあこがれ、せめて次代に、大貴族らしい優雅を与えようとして、父の賛同を得て、幼ないころの清顕を綾倉家へ預けたのであった。 そこで清顕は堂上家の家風に染まり、二つ年上の聡子に可愛がられ、学校へ上るまでは、清顕の唯一の姉弟、唯一の友は聡子になった。 綾倉伯爵は京識のとれない、まことに温柔な人柄で、幼ない清顕に和歌を教え、書を教えた。 綾倉家では今も王朝時代そのままの双六盤で夜永を遊び、勝者には皇后陛下御下賜の打物の菓子などが与えられた。 なかんずく、今もつづく伯爵の優雅の薫陶は、毎年正月の、自ら寄人をつとめている御歌所の歌会始に、十五の年から、清顕を参列させていることにあった。 これははじめは清顕にとっても、義務的なものと感じられたけれども、成長と共に、いつか年のはじめのこの名残の優雅への参加が、心待ちにされるようになっていた。 聡子は今では二十歳になっていた。 聡子と清顕の子供のころの仲よく頬をよせ合った姿から、最近の彼女が五月末の「お宮様」のお祭に参列した姿まで、清顕の写真帳にその成長の跡を、つぶさに辿ることができた。 二十歳という、娘ざかりをすぎた年頃であるのに、聡子はまだ結婚していなかった。 「あれが聡子さんか。 それじゃ、みんながいたわっている鼠いろの被布を着たおばあさんは誰なんだい」「ああ、あれは、……そうだ、聡子さんの大伯母さんの御門跡だ。 へんな頭巾をかぶっているのでわからなかったよ」それは実にめずらしい客で、ここの邸ははじめての訪問にちがいない。 聡子だけなら母はそうまですまいが、月修寺門跡の訪問のもてなしに、庭の案内を思いついたのに相違ない。 そうだ。 おそらく門跡の稀な上京を迎えて、聡子が松枝家へ、紅葉を見せにお連れしたのにちがいない。

§12

門跡は清顕が綾倉家に預けられていたころ、大そう可愛がって下さった由であるが、そのころのことは一切清顕の記憶にない。 中等科のとき、門跡が上京されたというので、綾倉家に招かれて、お目にかかったことがあるきりである。 それでも門跡のやさしくて気高い色白なお顔と、物柔らかな中に凜としたお話ぶりはよくおぼえている。 ――清顕の声に岸の人たちは一せいに立止った。 そして中ノ島の鉄の鶴の傍らから、深草を貫いて突然海賊のようにあらわれた、二人の若者の姿におどろいているさまがありありと見てとれた。 母が帯の間から小さな扇を出して、門跡のほうを指して敬う形をしてみせたので、清顕は島の上から深い敬礼をし、本多もこれに倣って、門跡は礼を返した。 母が扇をひらいて招いてみせたときに、その扇の金は紅葉を映して真紅に映えたが、清顕は友を促して、ボートを向う岸へ進めなければならぬのを知った。 『聡子さんは何とかここの家へやって来る機会を決してのがさないんだ。 それも全く不自然でない機会を。 大伯母様はいい囮に使われている』と本多を手つだって、いそがしく禮を解くあいだにも、清顕は非難がましく言った。 そのとき本多は、門跡に挨拶をするためとはいいながら、そんなにいそいで対岸へ行きたがる清顕の、それは弁解の言葉ではなかろうかと疑った。 彼の白い繊細な指が、友の着実な仕草に焦慮するかのように、粗い禮にいたいたしくかかって手伝うさまは、こういう疑いを起させるに足りた。 対岸に背を向けて本多が漕ぎ出すにつれ、紅い水面の反射を受けて上気しているかに見える清顕の目が、神経質に本多の目をよけて、一途に岸へ向けられているのは、成長期の男同士の虚栄心から、自分の幼時をあまりにもよく知り、あまりにも感情的に支配していた女性への、彼の心のもっとも弱々しい部分の反応を、友に知られたくないためではなかろうかと思われた。 清顕はそのころ、自分の肉体の小さな白い擬宝珠の蕾まで、聡子に見られてしまっていたかもしれないのだ。 岸に漕ぎ寄せた本多の労を、「まあ本多さんは本当にお上手にお漕ぎになること」と清顕の母がねぎらった。 彼女は瓜実顔のやや悲しげな八字眉をした婦人だったが、笑っていても悲しげなその顔は、必ずしも感じ易い心性をあらわすものではなかった。 現実的でもあれば、鈍感でもありうる人で、良人の粗雑な楽天主義と放蕩に馴れるように自分を育てたこの人は、清顕の心の細かい襞などには決して入ってゆくことができなかった。 聡子はといえば舟から上る清顕の一挙一動から目を離さずにいた。 勝気で涼しげなその目は、見ようによっては爽やかで寛容なものにも思われるのに、清顕がいつもたじろいで、その視線に批評的なものを読んだとしても無理はなかったろう。 「御前がおいでになったので、今日は有難いお話を伺おうと思って、たのしみにしているのですよ。 その前に、紅葉山を御案内しようと思ってここまで来たら、そんなに野蛮な声を出すのだから、おどろきますね。 あなた方は島で何をしていたの? 」「ぼんやり空を眺めていたんです」と母の問いに、清顕はわざと謎のような返事をした。 「空を眺めるなんて、空に何があるんでしょう」母は目に見えないものについては、理解できないという心性を恥じなかったが、それが清顕には母の唯一の長所のように思われた。 そんな母が、法話を聴こうなどという殊勝な心掛を示すのは滑稽だったが。

§13

尼門跡は母子のこういう対話を、客の分を守って、つつましく微笑してきいていた。 そして聡子は、わざと聡子へ向けずにいる清顕の顔の、匂いやかな頬にかかる黒い勁いほつれ毛の光沢をまじまじと見つめていた。 こうして人々は、連れ立って山道をのぼりながら紅葉を愛で、梢に鳴を交わす小鳥の声からその名を当ててたのしんだ。 どんなに歩を緩めても、自然に二人の若者は先に立ち、門跡を央にして女たちの群から離れた。 本多がこういう機会をとらえて、はじめて聡子のことを口に出し、その美しさを褒めたときに、「そう思うかい」と清顕は、それでももし本多が聡子を醜いとでもいったら、すぐに矜りを傷つけられることのわかっている、神経質な冷淡さを示して答えた。 彼自身が関心を払っていようがいまいが、自分に少くとも関わりのある女は、美しくなくてはならない、と清顕は明らかに考えていた。 一行がようやく滝口の下まで来て、橋の上から第一段の大滝をふり仰ぎ、はじめて見る門跡の賞讃の言葉を、母が心待ちにしていた折、この日をとりわけ忘れがたいものにした不吉な発見をしたのは清顕だった。 「何だろう。 滝口のところで、あんなに水が割れているのは」母も気づいて、目を射る木洩れ陽を、ひろげた扇で遮りながら、そこを見上げた。 滝の落下の姿を風靡するものであるために、岩組に工夫を凝らしてこそあれ、そんな滝口の中央で水が無様に別れるわけはなかった。 たしかにそこに突き出ている岩はあった筈だが、それがこれほど滝の姿を侵す筈はなかった。 「何でございましょう。 何か引っかかっているように見えますが……」と母は困惑した気持を門跡へしかけて言った。 門跡は何かをすぐに認めたらしいが、黙って微笑しているきりであった。 そこで見たものをあくまで正直に言わねばならぬ立場に、清顕は立った。 しかし彼はこんな発見があまりにみんなの興を醒ますことを怖れて躊躇っていた。 そしてもはやみんながそれを認めていることを、彼は知っていたのである。 「黒い犬じゃございません? 頭が下に垂れて」と、聡子は実に率直に言い切った。 みんなはそれではじめてそれと知ったようにさわめきだした。 清顕は自負を傷つけられた。 一見女らしくない勇気を以て、不吉な犬の屍を指摘した聡子は、持ち前のその甘くて張りのある声音といい、物事の軽重をわきまえた適度な朗らかさといい、正しくその率直さのうちに、手ごたえのある優雅を示していた。 それは硝子の容器のなかの果物のような、新鮮で生きた優雅であるだけに、清顕は自分の躊躇を恥じ、聡子の教育者的な力を怖れた。 母がすぐさま女中に命じて、役目をおろそかにした庭師を呼びにやらせたが、門跡には不体裁の詫びを言ったが、門跡は慈悲心からふしぎな提案をした。 「こうして私の目にとまるのも何かの縁でっしゃる。

§14

早速埋めて、塚を作ってあげやす。 回向して還ぜまっさかいに」おそらく犬は、すでに傷ついたか病んだかしていて、水源で水を呑もうとして落ち、その溺れた骸が流されて、滝口の岩に堰かれたのであろう。 本多は聡子の勇気に感動していたが、同時に、ほのかな雲の漂う滝口の空の澄みやかさ、水の清冽なしぶきを浴びて宙に懸っている真黒な犬の屍、そのつやつやと濡れた毛、ひらいた口の牙の純白と赤黒い口腔のすべてを、すぐ目近に見るような気がしていた。 紅葉見が一転して、犬の葬いに変ったのは、居合せた皆にとって、何か愉しい変化でもあるようで、女中たちの物腰は俄かに活々とし、内に軽躁を隠していた。 一行は橋むこうの滝見茶屋を象った涼亭で休息をとり、駆けつけた庭師が言葉を尽して詫びたのち、危い険阻をのぼって濡れた黒犬の屍を抱き取り、さてそれを、しかるべきところに掘った穴に、埋めるまで待っていた。 「何かお花を摘んでくるわ。 清様も手つだって下さらない? 」と、女中の手伝いを予め制して、聡子が言った。 「犬にどんな花をやるんです」と清顕が不承々々に言ったので、皆が笑った。 そのとき門跡はすでに被布を脱いで、小袈裟を掛けた紫の法衣を顕わしていた。 人々はこういう尊い方の存在が、みるみる不吉を浄めて、小さくても暗い出来事を、大きな光明の空に融かし込んで下さるように感じていた。 「御前様に回向していただくなんて、何という果報な犬でございましょう。 きっと来世は人間に生れ変ることでございましょうよ」と母もすでに笑いながら言った。 一方、聡子は清顕に先立って山道をゆき、目ざとく咲残りの竜胆を見つけて摘んだ。 清顕の目には、すがれた野菊のほかものは映らなかった。 平気で腰をかがめて摘むので、聡子の水いろの着物の裾は、その細身の躰に似合わぬ豊かな腰の稔りを示した。 清顕は、自分の透明な孤独な頭に、水を掻き立てて湧き起る水底の砂のような、細濁りがさすのをいやに思った。 数本の竜胆を摘み終えた聡子は、急激に立上って、あらぬ方を見ながら従ってくる清顕の前に立ちふさがった。 そこで清顕には、ついぞ敢て見なかった聡子の形のよい鼻と、美しい大きな目が、近すぎる距離に、幻のようにおぼろげに浮んだ。 「私がもし急にいなくなってしまったとしたら、清様、どうなさる? 」と聡子は抑えた声で口迅に言った。 四尤も聡子は昔からそんな風に、故人をおどろかす口ぶりをすることがあった。 意識して芝居がかりにしているのではあるまいが、相手をはじめから安心させる悪戯気などはみじんも顔にあらわさず、大事中の大事を打明けるように、大まじめで、悲愁をこめて言うのである。 「いなくなるって、どうして? 」馴れている筈なのに、清顕も、ついこう訊かずにはいられない。

§15

無関心を装いながら不安を孕んだこの反問こそ、聡子が欲しがっていたものに他ならない。 「申上げられないわ、そのわけは」清顕は鋭い目で聡子を見た。 いつもこれだ。 これが彼をして聡子を憎ませるもとになるのだ。 急に、いわれもなく、性の知れない不安を呉れること。 彼の心の中には、抗しがたく一滴の墨がみるみるひろがり、水は一様に灰鼠に染められてゆく。 こうして聡子は、清顕の心のコップの透明な水の中へ一滴の墨汁をしたらす。 防ぐひまはなかった。 春の雪聡子の憂いを帯びてはりつめた目は、快さに燦えていた。 戻ってきたとき、清顕がひどく不機嫌になっているのにみんなはおどろいた。 これが又松枝家の大ぜいの女たちの噂話のたねになるのだ。 ――清顕のわがままな心は、同時に、自分を蝕む不安を自分で増殖させるというふしぎな傾向を持っていた。 これがもし恋心であって、これほどの粘りと持続があったら、どんなに若者らしかったろう。 彼の場合はそうではなかった。 美しい花よりも、むしろ棘だらけの暗い花の種子のほうへ、彼が好んでとびつくのを知っていて、聡子はその種子を蒔いたのかもしれない。 清顕はもはや、その種子に水をやり、芽生えさせ、ついには自分の内部いっぱいにそれが繁茂するのを待つほかに、すべての関心を失ってしまった。 わき目もふらずに、不安を育てた。 彼には「興味」が与えられたのである。 その後ずっと、好んで不機嫌の虜になり、こんな未決定と謎を与えた聡子に腹を立て、その場で喰い下って謎を解こうとしなかった自分の不決断にも腹を立てていた。 本多と二人で中ノ島の草上に憩うていたとき、彼は「何か決定的なもの」を欲しいと言った筈だ。 何かはわからぬが、その光りがかがやく「決定的なもの」が、もう少しで手に入りそうになった矢先、聡子の水いろの袂が邪魔を入れてきて、彼を未決定の沼へ押し戻したのだ、という風に、清顕はややもすると考えたがる。 実際はその決定的なものの光りは、手の届かぬ遠方に閃めいたにすぎないのかもしれぬのに、どうしても、もう一歩のところで聡子に妨げられたのだ、と考えたがる。 もっと腹が立つのは、この謎と不安の解明のあらゆる方途が、彼自身の矜りによってふさがれていることだった。 たとえば人に質そうにも、「聡子がいなくなるとはどういうことか? 」という質問の形をとらざるをえず、それは聡子に対する関心の深さを疑われる結果にしかならないからだ。

§16

『どうしよう。 どうやったら、それが、聡子なんかとは何の関わりもない、僕自身の抽象的な不安のあらわれだと、人を納得させることができるだろう』何度もそう考えては、清顕の考えは堂々めぐりをするばかりである。 こういう折には、日ごろきらいな学校も気散じの場所になった。 彼は昼休みをいつも本多とすごしたが、本多の話題には多少退屈した。 本多はあのあと母屋の座敷で、月修寺門跡の法話をみんなと共にきいたときから、心は一途にそれにとらわれていたからである。 そしてそのときは上の空で聴きすごした清顕の耳に、今になって本多が法話の逐一を、彼流に解釈して流し込むのであった。 清顕のような夢みがちの心に、法話がいささかの影をも投げかけず、却って本多のような合理的な頭に、新鮮な力を及ぼしたのは面白かった。 もともと奈良近郊の月修寺は、尼寺にはめずらしい法相宗の寺で、その理論的な教学が、本多を魅したのもありうることだが、門跡の法話自体は、唯識の入口へ人々をみちびき入れるための、ことさら卑近な、わかりやすい挿話を引いていた。 「御門跡は滝にかかった犬の屍からこの法話を思いついたと言っておられたね」と本多は語った。 「それが又御門跡の、君の一家に対するやさしいたわりから出ていたことは疑いがない。 あの御所言葉をまじえた古風な京都弁、風にかすかに揺られる几帳のような、無表情でいて淡い無数の色とりどりの表情をちらつかせる京都弁が、ずいぶん法話の与える感銘を助けていたなあ。 御門跡のお話は、むかしの唐の世の元暁という男についてだった。 名山高岳に仏道をたずねて歩くうち、たまたま日が暮れて、塚のあいだに野宿をした。 夜中に目をさましたところ、ひどく喉が渇いていたので、手をさしのべて、かたわらの穴の中の水を掬んで飲んだ。 こんなに清らかで、冷たくて、甘い水はなかった。 又寝込んで、朝になって目がさめたとき、あけぼのの光りが、夜中に飲んだ水の在処を照らし出した。 それは思いがけなくも、髑髏の中に溜った水だったので、元暁は嘔気を催おして、吐してしまった。 しかしそこで彼が悟ったことは、心が生ずれば則ち種々の法を生じ、心を滅すれば則ち髑髏不二なり、という真理だった。 しかし俺に興味があったのは、悟ったあとの元暁が、ふたたび同じ水を、心から清く美味しく飲むことができたろうか、ということだ。 純潔もそうだね。 そう思わないか? 相手の女がどんな莫連だろうと、純潔な青年は純潔な恋を味わうことができる。 だが、女をとんだあばずれと知ったのちに、そこで自分の純潔の心象が世界を好き勝手に描いていただけだと知ったのちに、もう一度同じ女に、清らかな恋心を味わうことができるだろうか? できたら、すばらしいと思わんかね? 自分の心の本質と世界の本質を、そこまで鞏固に結び合せることができたら、すばらしいと思わないか?

§17

それは世界の秘密の鍵を、この手に握ったということじゃないだろうか? 」そう言う本多がまだ女を知らないことは自明であったし、やはり女を知らぬ清顕も、彼の奇妙な議論を駁することはできなかったが、何とはなしにこのわがままな少年の心が、実は本多とはちがって自分こそ、生れながらに世界の秘鑰を握っていると感じていた。 どこから生れる自信とも知れなかった。 彼の夢みがちな心性、ひどく傲り高ぶりながらすぐ不安に瀕される性格、その運命的な美貌などが、自分の柔らかい肉の奥底に嵌め込まれた一顆の宝石を感じていた。 痛みもせず、腫れもしないのに、肉の深みから時折放たれるその澄んだ光りのために、彼は病人の矜りに似たものを持っていたのかもしれない。 月修寺の来歴などについては、清顕は興味もなく、よく知りもしなかったが、却って何のゆかりもない本多が、図書館で調べて来ていた。 それは十八世紀のはじめごろに建てられた比較的新らしい寺で、第百十三代東山天皇の女御子が、若くして崩御したもうた父帝のみあとを偲び、清水寺の観音信仰に身を入れておられるうちに、常住院の老僧が説く唯識論に興味を持たれて、次第に法相の教義に深く帰依し、剃髪されてのちも既存の門跡寺を避け、あらたに学問寺としての一寺を開かれ、今の月修寺の開山となられたのであった。 法相の尼寺としての特色は今にいたるまで保たれているが、歴代の宮門跡の伝統は先代で絶え、聡子の大伯母様は、宮家の血筋を引いているとはいえ、最初の臣下の門跡となられた。 ……突然、本多が真向からこう訊いた。 「松枝! 貴様このごろどうかしているんじゃないか? 俺が何を言っても上の空だ」「そんなことはない」と清顕は虚を突かれて、あいまいに答えた。 彼は美しい涼しい目で友を見た。 友達に自分の不遜を知られることは恥じなかったが、悩みを知られることは怖ろしかった。 もしここで彼が胸襟を披けば、本多はずかずかと彼の心の中へ踏み入って来ることは知れており、誰であれそんな振舞をゆるせない清顕は、たちまちこのたった一人の友をも失うことになるだろう。 本多も、しかし、このときにすぐ清顕の心の動きを理会した。 彼と友人でありつづけようとすれば、粗雑な友情を節約せねばならぬということ。 その塗り立ての檻にうっかり手をついて、手型を残すようなことはすべきでないということ。 場合によったら、友の死苦をさえ看過せねばならぬということ。 とりわけそれが、隠すことによって優雅になりえている特別の死苦ならば。 清顕の目が、こういうとき、一種切実な懇願を湛えてくるのが、本多は好きでさえあった。 すべてをそのあいまいな、美しい岸辺で止めておいてくれ、と望んでいるその眼差。 ……この冷たい破裂しそうな状態のなかで、友情を取引にした情ない対峙において、はじめて清顕は懇願者になり、本多は審美的な見物人になる。 これこそ二人が暗黙にのぞんでいる状態であり、人が二人の友情と名付けているものの実質だった。 五十日ほどのちに、たまたま父侯爵が早く帰宅して、めずらしく親子三人で夕食を摂った。

§18

父は洋食が好きだったので、洋館の小食堂で晩餐が出、侯爵は親ら地下の酒庫へ下りて葡萄酒を選んだ。 庫いっぱいに寝かされている葡萄酒の銘柄を、彼は清顕を連れて行って、丹念に教えてやり、どの料理にはどれが合うか、この葡萄酒は宮家でもおいでになった時のほかは使うな、とか、いかにも愉しげに教えを垂れた。 そういう無用の知識を与えるときほど、この父親が愉しげに見えることはなかった。 食前酒のときに、母は一昨日、少年の別当を一人連れて、一頭立の御手御者で、横浜へまで買物に行ったことを得意そうに話した。 「横浜でも洋装をめずらしがるのですから、おどろきました。 汚ない子供たちが、ラシャメン、ラシャメン、と云って馬車を追いかけてくるのでございますもの」父は軍艦比叡の進水式に清顕を連れて行ってやろうかとほのめかしたが、これは清顕が断わることを当然見越して言ったのである。 それから父と母とが、共通の話題を探して苦慮しているのが、清顕にも読みとれたが、そのうちにどういうわけか、三年前に清顕が十五歳になった「御立符」の祝いのときのことを話し出した。 それは旧暦八月十七日夜の月を、庭に置いた新らしい盥の水に映して、供え物をする古いいきたりであったが、十五歳の夏のその夜空が曇ると、一生運が悪いと云われていた。 父母の話で、清顕の心にも、ありありとその夜の情景が浮んできた。 はや露しげく、虫のすだきに充ちた芝生のまんなかに、水を張った新らしい盥が置かれ、紋付袴で彼は父母の間に立っていた。 盥の囲む丸い水面が、わざと灯を消した庭の周囲の木立やその彼方の屋根の甍や紅葉山などの凹凸に富んだ景色を、引き絞り、統括しているようだった。 その明るい檜の板の盥の縁、そこのところでこの世界が終り、そこから別の世界の入口がはじまっていた。 自分の十五の祝いの吉凶がかかっているだけに、清顕には、それが露芝の上に裸で置かれた自分の魂の形のように思われた。 その盥の縁のうちらから彼の内面がひらけ、縁の外側からは外面が……。 声を発する者もないので、あんなに庭いちめんの虫の音が、耳立ってきこえたことはない。 目はひたすらに盥の中へ注がれている。 はじめ盥の水は黒く、藻のような雲に閉ざされていた。 次第にその藻が騒ぎ、光りがかすかに兆してにじんだかと思うと、又消えた。 どれくらい待ったろう。 やがて、突然、盥の水のその凝固したかのようなあいまいな闇が破れて、小さな明らかな満月が、正しく水の中央に宿った。 人々は喚声をあげ、ほっとした母は、はじめて扇をうごかして、裾のあたりの蚊を追いながら、「よかった。 この子は運がいいね」と言った。 そしてみんなが口々に述べる祝賀を受けた。 清顕はしかし、天にかかる月の原像を仰ぐのが怖かった。 丸い水の形をした自分の内面の奥深く、ずっと深くに、金いろの貝殻のように沈んでいる月のみ見ていた。

§19

ついにこうして個人の内面が、一つの天体を捕獲したのだ。 彼の魂の捕虫網が、金いろに輝やく蝶を。 しかし、その魂の網目は粗く、一度捕えた蝶は、又すぐ飛び翔ってゆきはしないだろうか? 十五歳の彼は、早くも喪失を怖れていたのだ。 得るが早いか喪失を怖れる心が、この少年の性格の特徴をなしていた。 一旦月を得た以上、今後月のない世界に住むようになったとしたら、その恐怖はどんなに大きいだろう。 たとえ彼がその月を憎んでいたとしても……。 歌留多の札の一枚がなくなってさえ、この世界の秩序には、何かとりかえしのつかない罅が入る。 とりわけ清顕は、或る秩序の一部の小さな喪失が、丁度時計の小さな歯車が欠けたように、秩序全体を動かない靄のうちに閉じ込めてしまうのが怖ろしかった。 なくなった一枚の歌留多の探索が、どれほどわれわれの精力を費させ、ついには、失われた札ばかりか、歌留多そのものを、あたかも王冠の争奪のような世界の一大緊急事にしてしまうことだろう。 彼の感情はどうしてもそういう風に動き、彼にはそれに抵抗する術がなかったのである。 ――十五歳の十七夜の御立待のことを考えているうちに、いつのまにか聡子のことを考えている自分に気づいて、清顕は愕然とした。 そのとき折よく執事が、うそ寒く仙台平の袴の衣摺れの音をきかせて、食事の支度が調ったことを告げた。 三人は食堂に入り、イギリスへ誂えたおのおのの、美しい紋章入りの飾皿の前に腰を下ろした。 子供のころから清顕はやかましく食卓の作法を父に教え込まれたものであるが、母はいまだに洋食に馴染まず、もっとも自然に振舞って格を外さないのは清顕で、父の作法には今以て新帰朝者の物々しさが残っていた。 スープがはじまると、母はすぐのどかな口調で語り出した。 「ほんとうに聡子さんにも困ったものだわ。 今朝お断わりのお使者を出したと御報告がありました。 一時はすっかり、お心が決ったようにお見受けしたんだけれど」「あの子ももう二十歳だろう。 我儘をとおしているうちに、売れ残りになってしまう。 こっちも心配してやっている甲斐がないというもんだ」と父が言った。 清顕が耳をすました。 父はかまわずにつづけた。 「何が原因だろう。 身分が釣合わないという考えかもしれないが、綾倉家がいかに名門でも、あれだけ傾いてしまっている今は、将来有望な内務省の秀才なら、家柄など問わずに、ありがたく受けるべき話じゃないか」「私もそう思います。

§20

これではお世話するのがいやになりました」「しかしあの家には清顕が世話になった恩義もあることだし、あの家の再興を考えてやる務めがこちらにもある。 何か、どうしても断われない話を持って行ってやればよいのだ」「そんなお誂え向きの話がございますかね」きいている清顕の顔は晴れ晴れとなった。 これで謎がすっかり解けたのである。 私がもし急にいなくなってしまったとしたら、という聡子の言葉は、ただ単に、自分の縁談のことを斥けていたのだった。 そしてたまたま、あの日の聡子の心境は、その縁談を肯う方へ向っていて、そのことをほのめかして、清顕の気を引いてみたかったのであろう。 今母が語るとおり、彼女が十日ののちに正式にその話を断わったとすれば、その理由も亦清顕には明白だった。 それは聡子が清顕を愛していたからである。 これで彼の世界は再び澄み渡り、不安は失せ、一杯の澄明なコップの水と等しくなった。 この十日ほど帰るに帰れなかった自分の小さな平和な庭へ、やっと帰って来て、寛ぐことができるのだ。 清顕はめずらしい広大な幸福を感じたが、その幸福が、自分の明晰さの再発見に拠ることを疑わなかった。 故意に隠されていた一枚が手もとに戻って、歌留多の札が揃ったことの、……そして歌留多は再び、ただの歌留多にすぎなくなったことの、……何とも云いようのない明晰な幸福感。 彼は、少くとも今の一瞬間、「感情」を追っ払うことに成功したのである。 ――しかし息子の突然の幸福感に気づくほど鋭敏ではない侯爵夫妻は、食卓を隔てて、お互いの顔だけを見つめていた。 侯爵は悲しげな八字眉の妻の顔を。 夫人は、本来行動力だけがふさわしいのに安逸がすばやく皮下にうずいて廻る、良人の逞しい赤ら顔を。 こうして両親の会話が一見弾んでいるようにみえるとき、清顕はいつもながら、両親が或る儀式を執り行っているように感じた。 その会話は順を追ってうやうやしく捧げられる玉串であって、光沢のある榊の葉も吟味して選られていた。 これと同じものを少年時代から、清顕は何べんとなく眼前にした。 白熱した危機も来ない。 感情の高潮もない。 それでいて母はそのあとに来るものをちゃんと知っているし、妻がそれを知っていることを、侯爵もよく知っている。 それは毎度の滝壺への陥落だが、落ちる前は芥も手をつないで、青空と雲を映す滑らかな水面を、何事も予感しない顔つきで辷ってゆくのだ。 果して侯爵は、晩餐のあとの珈琲もそこそこに、「さあ、清顕、ひとつ撞球でもやろうか」と言い出し、「それでは私はそろそろ退らせていただきます」と侯爵夫人は言った。 幸福な清顕の心は、今夜はこの種のまやかしにも、少しも傷つかなかった。 母は母屋へ退き、父子は撞球室へ入った。

§21

それはイギリス写しの槲の鏡板の壁もさることながら、先代の肖像画と、日露戦役海戦の図の大きな油絵で名高い部屋であった。 グラッドストーンの肖像画を描いた英国の肖像画家ジョン・ミレース卿の門弟が、日本に来ているあいだに描いた、百号あまりの巨大な祖父の肖像画は、薄闇のなかから大礼服姿の祖父を浮び出させた簡素な構図ながら、その写実的な厳しさと理想化を程々に塩梅した描法のうちに、いかにも世間が維新の功臣として仰ぐにふさわしい不屈な風貌と、家族にとって親しみのある頬の疣などの愛嬌とを、巧みに融かし込んでいた。 国の鹿児島から新参の女中が来たときには、必ずこの肖像画の前へ連れて来られて、拝ませられる。 祖父が死ぬ数時間前に、この部屋へ入った者もなく、吊紐が朽ちていたわけでもないのに、肖像画は突然、床に落ちてすさまじい響きを立てた。 撞球室には、イタリー大理石の石盤を使った玉台が三つ並んでいたが、日清戦役のころから紹介されてきた三つ球はこの家では誰も遊ばず、父と子も四つ球で遊んだ。 執事がすでに紅白二つの球を、左右に程々に離して並べ、おのおののキューを侯爵と息子に渡した。 イタリー産の火山灰を固めたチョークを、清顕は先端のタップにすりつけながら盤上を見つめた。 緑の羅紗の上に紅白の象牙の球は、貝が足を出すように丸い影の端をちらりとのぞか壱娘せて静まっていた。 清顕はそれらの珠に、何の関心も抱いていなかった。 それはどこかの見知らぬ街の、人気のない白昼の路上のようで、珠はそこに突然あらわれた異様な無意味な物象として現前していた。 侯爵はいつもながら、美しい息子のこういう無関心な目つきにおそれをなした。 今夜のようにもっとも幸福な時でさえ、清顕の目はそうなのであった。 「近々、シャムの王子が二人日本へ来て、学習院に遊学されることになっているのを知ってるかね」と父は思い出した話題を言った。 「いいえ」「多分お前と同年だから、家にも数日滞在してもらう手筈をするように、外務省に言っておいた。 あの国はこのごろ、奴隷も解放する、鉄道も作る、なかなか進んだやり方をしているらしいから、お前もそのつもりで附合わねばならん」清顕は、父が手球へ向って身をかがめ、肥りすぎた豹のようキューをしごいているその背へ目をやると、急に小さな迸るような微笑を泛べた。 自分の幸福感と、未知の熱帯の国とを、紅白の象牙の珠を軽くキスさせ合うように、心の中で軽く触れ合わせてみたのである。 すると彼の幸福感の水晶のような抽象性は、思いもかけぬ熱帯の叢林の輝やかしい緑の反映を受けて、急にいきいきと彩られるような気がした。 侯爵は強かったので、清顕はもとより敵ではなかった。 最初の五キューをお互いに撞き終ると、父はさっさと玉台を離れ、清顕が予期していたとおりのことを言った。 「私はこれからちょっと散歩に出るが、お前はどうする」清顕は黙っている。 すると父は意外なことを言った。 「それとも門までついて来るかね。 子供のころのように」清顕はおどろいて、黒くきらめく瞳を父へ向けた。 侯爵は少しも、息子をおどろかせることに成功したのだ。 の害父の姿は門外の何軒かの家作の一軒に住んでいた。

§22

それらの家作の二軒には西洋人が住み、庭の塀はすべて邸内へ向った裏木戸を持っているので、西洋人の子供たちは自由に邸内へ遊びに来たが、姿の一軒だけは、その裏木戸に錠をかけて、その錠はすでに錆びていた。 母屋の玄関から正門までは八丁あって、清顕が子供のころ、父とよく手を引いてそこを散歩し、門前で別れて、召使に連れ戻された。 父は用事で出るときには必ず馬車を使ったから、徒歩の時の行先は決っていた。 子供心にも清顕は、そうやって父に伴われてゆくことに居心地の悪さを感じ、本来母のためにも、ぜひ父を引戻さねばならぬ義務をそれとなく感じながら、そうすることのできない自分の無力に怒っていた。 母はもちろんそういう折に、清顕は父の「散歩」のお供をすることを好まなかったが、父は故ら彼の手を引いて出るのであった。 清顕は父が、自分に母を裏切らせようと暗々裡に望んでいるのを察した。 十一月の寒夜の散歩はいかにも異様である。 侯爵は執事に命じて外套を着る。 清顕も撞球室を出て、学校の金釦のついたダブルの外套を着た。 執事は主人の「散歩」の十歩あとに従うべく、お土産を包んだ紫の袱紗を捧げて待っていた。 月はあきらかで、風が木々の梢に吼えていた。 父はあとからついてくる執事の山田の幽霊のような姿に、一切注意を払わなかったが、清顕は気になって一度だけ振向いた。 寒空にインバネスも着ず、常のような紋附袴の白い手袋に紫の袱紗包みを捧げ持って、山田は、足がやわるいので、踉蹌として来る。 眼鏡が月に光って、霜のようである。 終日ほとんど言葉を交わさないこの忠実無類の男が、体の中にどんな錆びた感情の発条をたくさん撓め込んでいるか、清顕は知らない。 しかしいつも快活で人間的な父侯爵よりも、この冷たい無関心な息子のほうが、はるかに他人の中に感情の存在を認めがちだったのである。 梟が鳴き、松の梢のざわめきが、多少の酒にほてった清顕の耳朶に、あの「戦死者の弔祭」の写真の、悲壮な葉叢を風になびかせている樹々のざわめきを伝えた。 父は寒空の下に、その夜の奥に待っている、温かく潤んだ薄紅いろの肉の微笑を夢みているのに、息子は死の聯想を抱くばかりなのだ。 ステッキの先で小石を飛ばしながら歩いていた酔った侯爵は、突然、こう言った。 「お前はあまり遊ばんようだが、お前の年頃には、私なんぞ幾人も女がいたものだ。 どうだ、今度連れて行ってやるから、芸者を大ぜい呼んで、たまには羽目を外しては。 何なら、学校の親しい友だちを一緒に引っぱって行ってもいい」「いやです」清顕は身を慄わせて思わずそう言った。 すると脚が地面に釘附けられたように動かなくなった。 父の一言で、ふしぎなことに、彼の幸福感は、地に落ちた硝子の壺のようにみじんに割れた。 「どうしたんだ」「ここで失礼します。

§23

おやすみなさい」清顕は踵を返して、仄暗い灯火をつけた洋館の玄関よりさらにはるかに、木立のなかに灯の洩れている母屋の表玄関のほうへ足早に戻った。 その晩、清顕は眠られぬ夜をすごした。 父や母のことはすこしも念頭に浮ばない。 一途に聡子への復讐を考えた。 『あの人はつまらない罠に僕を引っかけて、十日間にわたって、あんなにも僕を苦しめた。 あの人の目的はただ一つ、僕の心を波立たせ、僕を苦しめることに尽きていた。 あの人に復讐をしてやらなくてはならない。 しかし僕には、あの人のような詐術を使って、意地のわるい方法で、人を苦しめることなどは覚束ない。 何がいいだろう。 お父様のように、僕も女をどく卑しく見ていることを、あの人に思い知らせてやるのが一番だ。 言葉であれ、手紙であれ、あの人がひどい衝撃を受けるような、冒瀆的なことを言ってやれないものだろうか。 いつも僕は心弱くて、そこまで自分の心底を、人にあらわに示すことができなくて損をする。 多分、あの人には、僕があの人に無関心である、というだけでは足りないのだ。 それがあの人にいろんな、手前勝手な臆測の余地を残してきたのだ。 あの人を潰す! それが必要だ。 あの人が二度と起ち上れぬほどの侮辱を与える! それが必要だ。 そのときはじめてあの人は、僕を苦しめたことを後悔するだろう』そうは思っても清顕のとつおいつする思案には、何ら具体的な方策は現われなかった。 寝室のベッドのまわりには、六曲一双の寒山詩の屏風が置かれ、足もとの紫檀の飾り棚に、青い玉の鸚鵡が止り木に止っていた。 彼はもともと新らしい流行のロダンやセザンヌには興味を持たず、その趣味はむしろ受身な人間だった。 眠られぬ目をその鸚鵡に凝らすうちに、鸚鵡の翼の微細な彫り目までが浮き出て来て、その煙るような青の裡に透明な光りがこもり、鸚鵡がそのまま幽かな輪郭だけを残して、融けかけているような異象におどろいた。 そして知ったのは、窓の帷のはずれからたまたま月の光りが玉の鸚鵡にだけ注いでいることである。 彼は帷を乱暴にひらいた。 月は中天にあり、月かげはベッドの上いちめんにひろがった。

§24

月は浮薄なほどきらびやかに見えた。 彼は聡子の着ていた着物のあの冷たい絹の照りを思い出し、その月に聡子の、あの近くで見すぎた大きな美しい目を如実に見た。 風はもう止んでいた。 清顕は煖房のせいばかりでなく、体が火のように熱く、熱さに耳も鳴る思いがしてきて、毛布をはだけ、寝間着の胸をひらいた。 それでも身内に燃えてくる火は、肌のそこかしこに穂先を走らすようで、月の冷たい光りに浴さなければ納まらない気がしてきて、とうとう寝間着を半ば脱いで半裸になり、物思いに倦み果てた背を月へ向けて、枕に顔を伏せた。 なお顳顬は熱く脈打った。 清顕はそうして、たとえようもなく白い、なだらかな裸の背を月光にさらしている。 月かげがその優柔な肉にも多少のこまかい起伏をえがき、それが女の肌ではなくて、熟し切らぬ若者の肌のごくほのかな厳しさを湛えていることを示している。 わけても、月が丁度深くさし入っているその左の脇腹のあたりは、胸の鼓動をつたえる肉の隠微な動きが、そこのまばゆいほどの肌の白さを際立たせている。 そこに目立たぬ小さな黒子がある。 しかもきわめて小さな三つの黒子が、あたかも唐鋤星のように、月を浴びて、影を失っているのである。 六シャムでは一九一〇年に、ラーマ五世から六世へ治世が変り、今度日本へ留学される王子の一人は、新王の弟君で、ラーマ五世の息であり、その称号はプラオン・ジャオ(PraongChao)と称され、その名をパッタナディド(Pattanadid)と呼ばれ、英語では、ヒズ・ハイネス・プリンス・パッタナディドと敬称されるならわしであった。 一緒に来られる王子は、同年の十八歳であったが、ラーマ四世の孫に当り、ごく仲のよい従兄弟の間柄で、その称号をモン・ジャオ(MomChao)、その名をクリッサダ(Kridsada)といい、パッタナディド殿下は彼を「クリ」という愛称で呼んでおられたが、クリッサダ殿下のほうは、正系の王子に対する敬意を忘れず、パッタナディド殿下のことを「ジャオ・ピー」と呼ばれるのであった。 二人とも熱心な敬虔な仏教徒であったが、日常の服装作法はすべて英国風で、美しい英語を話した。 新王は若い王子たちのあまりの西欧化をおそれて、日本留学のことを計られ、王子たちもそれには異存がなかったが、ただ一つの悲しみは、「クリ」の妹姫に対する「ジャオ・ピー」の別離だった。 この若い二人の恋は、宮廷の怪しまえしい花であり、留学から「ジャオ・ピー」が帰られるときには、婚儀が約束されているほどの仲であったから、未来には何の不安もなかったが、パッタナディド殿下が出帆の時に示された悲しみは、あまり激情を現わさないその国の人の性からは異様に思われるほどであった。 航海と従弟の慰めが、若い王子の別離の悲しみを幾分か癒やした。 清顕が王子たちを自宅に迎えたときには、二人ともその浅黒い若々しい顔立ちでむしろ快活すぎる印象を与えた。 王子たちは冬休みまで気ままに学校へ参観にゆき、年が改まってから通学するにしても、正式に級に編入されるのは、日本語に習熟し日本の環境にも馴れた暁、春の新学期からということになっていた。 洋館の二階の二間つづきのゲスト・ルームが王子たちの寝室に宛てられた。 洋館にはシカゴから輸入されたスチーム暖房が整っていたからである。 松枝一家がそろった晩餐のころまでは、清顕も客もお互いに固くなっていたが、晩餐後若い者ばかりになると俄かに打ちとけ、王子たちは清顕に、バンコックの金色燦然たる寺々や美しい風景の写真を見せた。 同い年でもクリッサダ殿下には、気ままな子供らしいところが残っているのに、清顕はパッタナディド殿下のほうには、自分と共通した夢みがちな資質を発見してうれしく思った。 彼らが示した写真の一枚に、ワット・ポーの名で知られる巨大な寝釈迦を納めた僧院の全景があり、写真は手描きで精妙な彩色を施され、目の前に見るかのようであった。 積雲のそそり立つ強い熱帯的な青空を背景に、椰子の婆娑たる葉ごもりも点綴して、そのたとえようもなく美しい金と白と朱の僧院は、金いろの対の神将像が護る門の、金の縁を取った朱いろの扉や、白壁と白い列柱の上方へ及ぶに従って、繊細な金いろの浮彫の房が垂れ下り、それが次第に煩瑣な金と朱の浮彫に包まれた屋根や破風の集合をなし、ついに中央の頂きでは燦然とした三重の宝塔になって、輝く青空へと突き刺る、心もときめくような構成を持っていた。

§25

清顕がその美しさに対する讃嘆を、素直に面上にあらわしたので、王子たちは喜んだ。 そしてバッタナディド殿下は、そのいかにも柔和な丸顔に似つかわしくない、鋭すぎる切れ長の目で、遠くのほうを眺めるようにして言った。 「僕はとりわけこのお寺が好きなので、日本へ来る航海の途中にも、何度かこのお寺の夢を見ました。 その金いろの屋根が夜の海の只中から浮び上り、お寺全体が徐々に浮び上って、その間も船は進んでいますから、お寺の全貌が見えるころには、いつも船は遠くにいることになるのです。 海水を浴びて浮び上ったお寺は星あかりに煌めいて、夜の海上遠く月の出の新月のように見えます。 僕は甲板からこれを拝んで合掌するのですが、夢のふしぎで、そんなに遠く、しかも夜だというのに、金と朱のこまかい浮彫の一つ一つまでが、つぶさに目に泛ぶのです。 僕はクリにその話をして、お寺が日本まで追いかけてくるらしいと言ったのですが、クリは僕をからかって、追いかけてくるのは別の思い出でしょう、と笑うのです。 そのたびに僕は怒りましたが、今では少しクリに同感する気持にもなっています。 なぜなら、すべて神聖なものは夢や思い出と同じ要素から成立ち、時間や空間によってわれわれと隔てられているものが、現前していることの奇蹟だからです。 しかもそれら三つは、いずれも手で触れることのできない点でも共通しています。 手で触れることのできたものから、一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないような美しいものになる。 事物にはすべて神聖さが具わっているのに、われわれの指が触れるから、それは汚濁になってしまう。 われわれ人間はふしぎな存在ですね。 指で触れるかぎりのものを潰し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持っているんですから」「ジャオ・ピーはむつかしいことを言っているけれど、実は、別れてきた恋人のことを言っているにすぎないんですよ。 清顕君に写真をお目にかけたらどうです」とクリッサダ殿下が話を遮って言った。 バッタナディド殿下は頬を染めたらしかったが、浅黒い肌色のために、さだかでなかった。 そのためらいを見て、清顕は客を強いることをせずに、こう言った。 「よく夢を見られるのですか? 僕も夢日記をつけているんです」「日本語ができたら、ぜひ読ませていただきたいものだがなあ」とジャオ・ピーは目を輝かせて言った。 清顕は親友にさえ打明ける勇気のない、こんな夢への執着が、英語を通して、らくらくと相手の心へ届くのを見て、ますますジャオ・ピーに親愛を感じた。 しかしその後会話が滞りがちになった理由を、清顕がクリッサダ殿下のいたずらっぽい目の転々とした動きに読もうとしたとき、彼はそれが、写真をぜひ見せてくれ、と強いなかったためだと思い当った。 ジャオ・ピーはおそらく彼が強いるのを心待ちにしていたのである。 「あなたを追いかけてきた夢の写真を見せて下さい」とようよう清顕が言うと、又そばから、クリッサダ殿下が、「お寺のほうですか、恋人のほうですか? 」と茶々を入れ、そういう不謹慎な比較をするものではないとジャオ・ピーにたしなめられながらも、なおもうるさく首をつき出して、取出された写真を指さしては、「ジャントラパー姫は僕の妹なんです。 Chantrapaというのは、『月光』という意味なんですよ。

§26

僕たちはふつうジン・ジャン(YingChan―ジャン姫)と呼んでいますが」などとわざわざ註釈をつけた。 写真を見て清顕は、それが思いのほか平凡な少女であることにすこし落胆した。 白いレースの洋服を着、髪には白いリボンをつけ、胸には真珠の頸飾をして、とりすましているその表情は、女子学習院の学生の一人の写真だと云っても、誰も訝らないにちがいない。 髪が美しく波立って肩にかかっているのが一種の趣を添えているけれど、やや勝気な眉、いささか愕きにみひらかれたような目、暑い乾季の花のように乾きすぎて軽くまくれた唇、すべてにまだ自分の美しさにそれと気づかない稚なさが溢れていた。 もちろんそれは美しさの一種だった。 しかしまだ自分が飛べるとは夢にも思っていない雛鳥の、温かい自足に充ちすぎていた。 『これに比べれば聡子は百倍も千倍も女だ』と清顕はしらずしらずのうちに比較していた。 『僕の気持をともすると憎悪のほうへ追いやるのも、彼女が女でありすぎるからではなかろうか。 又、聡子はこれに比べればずっと美しい。 そして彼女は自分の美しさを知っている。 彼女は何でも知っている。 わるいことに、僕の幼なさをまでも』ジャオ・ピーはじっと写真を見つめている清顕の目に、自分の少女を奪われそうな気がしたものか、繊細な琥珀いろの指をつとさしのべて、写真をとり返したが、その指に煌めく緑の光りをみとめて、清顕はジャオ・ピーのはめている華麗な指環にはじめて気づいた。 それは一三カラットはあろうと思われる、四角いカットの濃緑のエメラルドを囲んで、金のごく細かい彫刻で一対の護門神ヤスカの、半獣の顔を飾った巨きな指環で、こんな目立つものに今まで気づかなかったのは、清顕の他人への無関心をよくあらわしていた。 「僕の誕生石なんです、五月ですから。 ジン・ジャンが餞別に呉れたのです」とバッタナディド殿下はためらいを含んで説明した。 「そんな派手なものをしていると、学習院では叱られてもぎ取られてしまうかもしれませんよ」と清顕がおどかしたので、王子はふだんこの指環をどこに隠しておくべきかとまじめに自国語で相談しはじめ、思わず自国語を出した失礼を詫びて、その相談の内容を英語で伝えた。 清顕は父に頼んでよい銀行の金庫を紹介してあげようと言った。 こうしていよいよ打ちとけた王子たちは、クリッサダ殿下も女友達の小さな写真を示したのち、今度はぜひ清顕の愛する人の肖像を見たいとせがむのだった。 若い虚栄心が、咄嗟の間に、清顕にこう言わせてしまった。 「日本ではそうやってお互いの写真を交換する習慣はないけれど、近いうちにきっと彼女を御紹介しましょう」――彼自身の幼時からつづけて貼られている写真帳のなかの、聡子の写真を見せる勇気はとてもなかった。 彼は気づいた、自分はこんなに久しく美少年の誉れを受け、人々の讃嘆を浴びて来たのに、十八歳までこの退屈な邸内に過して、聡子のほかについに一人の女友達も持っていないことを。 聡子は女友達であると同時に敵であり、王子たちが意味しているような、甘い感情の蜜ばかりで凝り固められた人形ではなかった。 清顕は自分にも、自分を取り巻くすべてのものにも怒りを感じた。 「散歩」の途次、いかにも慈愛ありげに言われた酔った父のあの言葉にさえ、孤独で夢みがちの息子に対する、侮蔑の薄笑いがこもっていたような気がした。 今では彼が自尊心から拒んでいたものすべてが、逆に彼の自尊心を傷つけていた。

§27

南国の健康な王子たちの、浅黒い肌、鋭く突き刺すような官能の刃をひらめかすその瞳、それでいて、少年ながらいかにも愛撫に長けたようなその長い繊細な琥珀いろの指、それらのものが、こぞって清顕に、こう言っているように思われた。 『へえ? 君はその年で、一人も恋人がいないのかい? 』自分でも制しきれずに、清顕は、それでもせい一杯冷たい優雅を保ちながら、こう言ってしまったのだった。 「近いうちにきっと彼女を御紹介しましょう」それは二、三カラットはあろうと思われる、四角いカットの濃緑のエメラルドを囲んで、金のごく細かい彫刻で一対の護門神ヤスカの、半獣の顔を飾った巨きな指環で、こんな目立つものに今まで気づかなかったのは、清顕の他人への無関心をよくあらわしていた。 「僕の誕生石です、五月ですから。 ジン・ジャンが餞別に呉れたのです」とパッタナディド殿下はなお羞らいを含んで説明した。 「そんな派手なものをしていると、学習院では叱られてもぎ取られてしまうかもしれませんよ」と清顕がおどかしたので、王子はふだんこの指環をどこに隠しておくべきかとまじめに自国語で相談しはじめ、思わず自国語を出した失礼を詫びて、その相談の内容を英語で伝えた。 清顕は父に頼んでよい銀行の金庫を紹介してあげようと言った。 こうしていよいよ打ちとけた王子たちは、クリッサダ殿下も女友達の小さな写真を示したのち、今度はぜひ清顕の愛する人の肖像を見たいとせがむのだった。 若い虚栄心が、咄嗟の間に、清顕にこう言わせてしまった。 「日本ではそうやってお互いの写真を交換する習慣はないけれど、近いうちにきっと彼女を御紹介しましょう」――彼自身の幼時からつづけて貼られている写真帳のなかの、聡子の写真を見せる勇気はとてもなかった。 彼は気づいた、自分はこんなに久しく美少年の誉れを受け、人々の讃嘆を浴びて来たのに、十八歳までこの退屈な邸内に過して、聡子のほかについに一人の女友達も持っていないことを。 聡子は女友達であると同時に敵であり、王子たちが意味しているような、甘い感情の蜜ばかりで凝り固められた人形ではなかった。 清顕は自分にも、自分を取り巻くすべてのものにも怒りを感じた。 「散歩」の途次、いかにも慈愛ありげに言われた酔った父のあの言葉にさえ、孤独で夢みがちの息子に対する、侮蔑の薄笑いがこもっていたような気がした。 今では彼が自尊心から拒んでいたものすべてが、逆に彼の自尊心を傷つけていた。 南国の健康な王子たちの、浅黒い肌、鋭く突き刺すような官能の刃をひらめかすその瞳、それでいて、少年ながらいかにも愛撫に長けたようなその長い繊細な琥珀いろの指、それらのものが、こぞって清顕に、こう言っているように思われた。 『へえ? 君はその年で、一人も恋人がいないのかい? 』自分でも制しきれずに、清顕は、それでもせい一杯冷たい優雅を保ちながら、こう言ってしまったのだった。 「近いうちにきっと彼女を御紹介しましょう」そしてどうやって彼女の美を、この新らしい異国の友に誇ることができるだろう。 清顕は永い躊躇の末に、とうとう昨日、聡子に宛てて、物狂おしい侮辱の手紙を書いてしまった。 まだその文面、何度となく書き直して精密に拵えたつもりの侮辱の文面は、一字一句脳裡に刻まれている。 『……あなたの威嚇に対して、こんな手紙を書かなければならないのは、小生としても甚だ遺憾なことです』という切口上で、その手紙ははじまっていた。

§28

『あなたはつまらない謎を、いかにも怖ろしい謎のように装って、何の鍵も添えずに小生に手渡し、小生の手を痺れさせ真黒にしてしまいました。 小生はこういうことをするあなたの感情的動機について、疑問を呈せずにはいられません。 そのやり方にはまるきりやさしさが欠けていて、愛情はもちろん、友情の片鱗も窺われませんでした。 小生にしてみれば、そういう悪魔的な行動をするあなたの、あなた自身も知らない深い動機について、一つのかなり確実な目安をつけてはいますが、それは礼儀上、申上げないことにしておきます。 しかし今では、あなたのすべての努力も企図も水泡に帰したと云えるでしょう。 実に不快な心境にいた小生は、(間接的にあなたのおかげで)、人生の一つの閾を踏み越えてしまいました。 たまたま父の誘いに乗って、折花攀柳の巷に遊び、男が誰しも通らなくてはならぬ道を通りました。 ありていに言えば、父がすすめてくれた芸者と一夜を過したのです。 つまり、社会道徳上ゆるされた、公然たる男のたのしみというわけです。 この一夜で小生は幸いなことにすっかり変りました。 婦人に対する考えは一変し、みだらな肉を持った小動物として、軽んじながらじゃらしてやるという態度を学びました。 これはあの社会の与えるすばらしい教訓だと思いますし、今まで父の女性観に共鳴できなかった小生も、否応なしに、父の息子だということを自分の体のうちにはっきりと認識しました。 ここまで読まれたあなたは、もう永久に去った明治時代風の旧弊な考えで、むしろ小生の進境を喜んで下さるかもしれません。 そして、玄人の女に対する小生の肉体的侮蔑が、素人の婦人に対する精神的尊敬をいよいよ高めることになったろうと、北叟笑んでおられるかもしれません。 否! 断じて、否です。 小生はその一夜から、(正に進境は進境でしょうが)、すべてを突き破って進んで、誰も至らない曠野へ走り出してしまったのです。 そこでは芸者と貴婦人、素人と玄人、教育のない女と青鞜社の連中との区別も一切ありません。 女という女は一切、うそつきの、「みだらな肉を持った小動物」にすぎません。 あとはみんな化粧です。 あとはみんな衣裳です。 申しにくいことですが、小生は今、あなたをも、はっきり、Oneofthemとしか考えていないことを申上げておきます。 あなたが子供のときから知っていた、あの大人しい、清純な、扱いやすい、玩具にしやすい、可愛らしい「清様」は、もう永久に死んでしまったものとお考え下さい。 ……』――二人の王子は、まだそんなに夜ふけでもないのに、慌しく「おやすみ」を言って部屋を出てゆく清顕に、不審な思いをしたらしかった。 尤も清顕は紳士らしく、一見にこやかに節度を保ちながら、二人の客の寝具その他を注意深く検ためたのち、客の希望もいろいろときいて、礼儀正しく退ったのではあったが。

§29

『どうしてこんな時、僕には誰一人味方がないんだ』と、彼は洋館から母屋へ通じる長い渡り廊下を、いっしんに駆けながら思った。 途中で何度か本多の名が浮んだが、友情に関する彼の気むずかしい観念がこの名を押し消した。 廊下の窓は夜風に鳴り、暗い灯火の一列がどこまでもつづいていた。 こんな風にして、息せき切って走っているところを、誰かに見咎められるのを怖れて、清顕は息を弾ませて廊下の一角に立止った。 万字繋ぎの彫りのある窓框に肱をついて、庭を眺めているふりをしながら、懸命に考えを纏めようとしていた。 夢とちがって、現実は何という可塑性を欠いた素材であろう。 おぼろげに漂う感覚ではなくて、一顆の黒い丸薬のような、小気味よく凝縮され、ただちに効力を発揮する、そういう思考をわがものにしなくてはならないのだ。 彼は甚だしく自分の無力を感じ、暖房の部屋から出て来た廊下の寒さにおののいた。 鳴っている窓硝子に額をあてて庭をのぞく。 今夜は月もなくて、紅葉山と中ノ島は一つの黒い塊りに合して、廊下の暗い灯火の及ぶ範囲にだけ、風にそそけ立つ池水がかすかに見える。 彼はそこから、竜が頭をもたげてこちらを窺っているような気がしてぞっとした。 母屋へ戻り、自分の部屋へ昇ろうとする階段の上り框で、清顕は書生の飯沼に行き会って、云いようのない不快を顔にあらわした。 「もうお客様はお寝りになったとですか」「ああ」「若様もお寝りになるとですか」「僕はこれから勉強があるんだ」すでに二十三歳の飯沼は、夜間大学の最上級生で、今学校からかえって来たところらしく、片手に数冊の本を抱えていた。 彼は若さのさかりがいよいよ鬱屈を加えた顔立ちになり、その大きな暗い簞笥のような肉体を清顕は怖れた。 自室に戻った彼は、ストーヴの火もつけずに、寒い室内をおちつきなく立ちつ居つして、頭に浮ぶ考えを次々と消しては蘇らせた。 『とにかく急がなくてはならない。 もう遅いだろうか? あんな手紙を出してしまった相手を、僕は何とかして数日中に、仲睦じい恋人として王子に紹介しなければならないんだ。 しかも一等世間に自然と思われるやり方で』椅子の上に、読む暇がなくて、そのままに放置った夕刊が散らばっていた。 何気なくその一枚をひろげてみた清顕は帝国劇場の歌舞伎の広告を見て、心にひらめきを得た。 『そうだ、王子たちを帝劇へお連れしよう。 それにしても、昨日出した手紙はまだ届いている筈がない。 まだ望みがあるかもしれない。 聡子と一緒に芝居へゆくことは親も許すまいが、偶然に会ったことにすればいいんだ』彼は部屋を飛び出して階段を駆け下り、表玄関の脇まで走って、電話室へ入る前に、明りの洩れている玄関脇の書生部屋のほうをぬすみ見た。 飯沼は勉強をしているらしかった。

§30

清顕は受話器をとって、交換手に番号を言った。 胸は高鳴り、退屈は打ち払われていた。 「綾倉様ですか。 聡子さんはいらっしゃいますか」と聴き覚えのある応待の老女の声へむかって、彼は言った。 遠い麻布の夜のかなたから、老女のひどく丁重で不機嫌な声が答えていた。 「松枝様の若様でいらっしゃいますか? 恐れ入りますが、もう夜分おそうでございますので」「お寝みなのですか」「いいえ、……はあ、まだ御寝にはおなりになりませんと存じますけれど」清顕が強いたので、とうとう聡子が出た。 その声の明るさが清顕を幸福にした。 「何でございますか、今ごろ、清様」「実はね、昨日あなたに手紙を出したんです。 そのことでお願いがあるんだけど、手紙が着いても、絶対に開封しないで下さい。 すぐ火中すると約束して下さい」「何のことかわかりませんけれど……」聡子の何事もあいまいにする遣口が、一見のどかなその口調のうちに、すでにはじまっていると感じた清顕はあせっていた。 それにしても聡子の声は、この冬の夜の中に、六月の杏子のように、程よく重たく温かく熟れてきこえた。 「だから、何も言わずに約束して下さい。 僕の手紙が届いたら、絶対に開封せずに、すぐ火中すると」「はい」「約束してくれますね」「いたします」「それからもう一つお願いがあるんですが……」「ずいぶんお願いがある晩ですのね、清様」「明後日の帝劇の切符をお買いになって、御老女でもお供につれて、帝劇にいらして下さい」「あら……」聡子の声は途切れた。 清顕は彼女が拒むのを怖れていたが、すぐ自分の思いちがいに気づいた。 綾倉家の今の財政状態は、そういう一人二円五十銭ほどの費用でも、思いに任せぬらしいことを察したのである。 「失礼ですが、切符はお届けしますから。 並んだ席だと世間の目がうるさいでしょうか、少し離れたお席をとりましょう。 僕はタイ国の王子様の御接待に、芝居を見に行くんです」「まあ、それは御親切に。 蓼科もさぞ喜ぶと思いますわ。 喜んで伺います」と聡子は素直に喜びをあらわした。 七本多は学校で清顕から明日帝劇へ行く誘いを受け、シャムの王子二人のお供をして行くのだということで、多少固苦しくは感じたけれども、喜んで承諾した。 清顕はもちろん、むこうで偶然に聡子に会うことになる成行などは、友に打明けていなかった。 本多は家へかえると、夕食のとき、父母にもその話をした。 父はあらゆる芝居を好もしいものと思っていなかったが、一方、息子も十八歳になればそう自由を束縛すべきではないと考えていた。

§31

本多の父は大審院判事で、本郷の邸に住み、明治風の洋間もある部屋数の多い邸は、いつも謹直の気分に充ちていた。 書生も数人おり、書物は書庫や書斎をあふれて、廊下にまで暗い背革の金文字を並べていた。 母もはなはだ面白味のうすい婦人で、愛国婦人会の役員をつとめ、息子が、その活動に一向積極的でない松枝侯爵夫人の息子と、格別親しくしているのを不本意に思っていた。 しかしそういう点を除けば、本多繁邦は、学校の成績といい、家での勉強ぶりといい、健康といい、日常の折目正しい挙措といい、申し分のない息子であった。 彼女はわれにも人にも、その教育の成果を誇っていた。 ここの家にあるものは、どんな些末な家具什器にいたるまで、すべて範例的なものであった。 玄関の松の盆栽、「和」の一字の衝立、応接間の煙草セット、房のついたテーブル掛などは言わずもがな、たとえば台所の米櫃、厠の手拭掛、書斎のペン皿、文鎮の類までが、いいしれぬ範例的な形をしていた。 家のなかの話題でさえそうだった。 友だちの家には一人や二人、必ず面白いことをいう老人がいて、月が窓から二つ見えたので、大声で叱咤すると、片方の月が狸の姿に戻って逃げた、などという話を大まじめでして、人もまた大まじめできく気風が残っているのに、本多家では家長のきびしい目が行き届き、老婢といえども、そういう蒙昧な話をすることは禁じられていた。 永らくドイツに遊んで法律学を学んだ家長は、ドイツ風の理性を信奉していたのである。 本多繁邦はよく松枝侯爵家と自分の家を比較して、面白く思うことがあった。 あの家では西洋風の生活をして、家のなかにある舶来物は数しれなかったが、家風は意外に旧弊であり、この家は生活そのものは日本的でいて、精神に西洋風なところが多分にあった。 父が書生を扱う扱い方も、松枝家とはまるでちがっていた。 本多はその晩も第二語学のフランス語の予習をすませると、いずれ大学で学ぶことになる知識を先取りし、又、何でも物事の淵源に興味を寄せがちな性向を充たすために、丸善から取り寄せたフランス語や英語やドイツ語の法典解説を読み散らした。 月修寺門跡の法話を聴いたときから、彼はかねて心を惹かれていたヨーロッパの自然法思想に、何となくあきたらない感じを抱きはじめていたのである。 ソクラテスにはじまり、アリストテレスを通じてローマ法を深く支配し、中世にはキリスト教によって精密に体系化され、啓蒙時代には又、自然法時代と呼ばれるほどの流行をもたらし、今のところしばらく鳴りをひそめているが、二千年のうつりかわる時代思潮の波ごとによみがえっては、その都度新らしい衣裳を身にまとうこの思想ほど、不死身な力をそなえた思想はなかった。 おそらくそこにヨーロッパの理性信仰のもっとも古い伝統が保たれていた。 しかしそれだけ強靭な思想であればあるほど、本多はその明るい人間主義のアポロン的な力が、いつも闇の力におびやかされてきた二千年間を思わずにはいられなかった。 いや、闇の力ばかりではない。 光りはもっと目のくらむような光明にもおびやかされ、その自分以上の光りの思想を、たえず潔癖に排除してきたようにも思いなされた。 闇をも含むようなより強い光明は、ついに法秩序の世界には、とりいれられなかったものだろうか? さりとて本多は、十九世紀のロマン派的な歴史法学派や、さては民俗学的法学派の思想にとらわれていたわけではなかった。 明治の日本はむしろそういう歴史主義から生れる、国家主義的な法律学を要求していたけれども、彼は逆に、法の根底にあるべき普遍的真理のほうへ顔を向け、それだからこそ今ははやらない自然法思想にも心を惹かれていたのに、このごろでは法の普遍が包摂する限りを知りたく、もし法が、ギリシア以来の人間観に制約された自然法思想をふみこえて、よりひろい普遍的真理(かりにそんなものがあるとして)へ足をつっこめば、そこで法自体が崩壊するかもしれないというような領域へ、いちずに空想を馳せることを好んでいた。 これはいかにも青年らしい危険な思考であった。 しかし、あたかも明るい地上へ、宙に浮んだ幾何学的な構築物の影を、明晰に落したようなローマ法の世界が、自分の今学んでいる近代的実定法の背後に、ゆるぎなく立っている姿に飽きると、彼が明治日本のこうまで忠実な継受法の圧迫から脱して、アジアの別のひろい古い秩序へ、時たまは目を向けたくなるのも自然であった。

§32

折よく丸善から届いたL・デロンシャンのフランス訳「マヌの法典」は、そういう本多くの懐疑にうまく応えるものを、含んでいるように思われた。 マヌの法典は、おそらく西暦紀元前二百年から紀元後二百年にいたるあいだに集大成された印度古法典の大宗で、ヒンズー教徒のあいだでは今日なお法としての生命を保っているが、その十二章二千六百八十四ヶ条は、宗教、習俗、道徳、法の渾然とした一大体系であって、宇宙の始源から説き起して、窃盗の罪や相続分の規定にまでいたる、そのアジア的な混沌の世界は、キリスト教中世の自然法学の、あのような整然たるマクロコスモスとミクロコスモスの照応による体系と、実に際立った対照を示していた。 しかしローマ法の訴権が、権利救済のないところには権利がないという、近代の権利概念と反対の思想に立っているように、マヌの法典も、いかめしい王とバラモンたちの法廷の容儀に関する規定に引きつづいて、訴訟事件を負債の不払いその他の十八項目に限定していた。 本多は、無味乾燥な筈の訴訟法にすら、王が事実審理によって正否を知るさまを、「丁度猟人が血のしたたりによって、手負いの鹿の巣を辿る」さまに喩えたり、又、王の義務を列挙するにも、「あたかもインドラが雨期の四月に、ゆたかな雨をふらすように」、王国の上に恩恵を注ぐべきことを述べたりする、この法典独特の豊麗な影像に魅せられて読み進み、ついに最終章のふしぎな規定とも宣言ともつかぬものに辿りついた。 西洋の法の定言命令は、あくまで人間の理性にもとづいていたが、マヌの法典は、そこに理性ではおしはかれない宇宙的法則、すなわち「輪廻」を、いかにも自然に、いかにも当然のことのように、いかにもやすやすと提示していた。 「行為は身・語・意から生じ、善悪いずれの結果をも生ずるものである」「心はこの世で肉体と関連し、善・中・悪の三種の別がある」「人は心の結果を心に、語の結果を語に、身体的行為の結果を身体に享ける」「人は身体的行為のあやまちによって、来世は樹草になり、語のあやまちによって鳥獣になり、心のあやまちによって低い階級に生れる」「すべての生物に対し、語・意・身の三重の抑制を保ち、又、完全に愛慾と瞋恚とを制する者は、成就、すなわち究極の解脱を得る」「人は正に自らの叡智によって個人の霊の、法と非法にもとづく帰趨を見きわめ、つねに法の獲得に意を注がなくてはならない」ここでも亦、自然法のように、法と善業とは同義語をなしていたが、それが悟性ではどうしてもつかまえにくい輪廻転生にもとづいている点がちがっていた。 一方からいえば、それは人間の理性に訴えるやり方ではなく、一種の応報の恫喝であって、ローマ法の基本理念よりも、人間性に対してより少ない信頼を置く法理念と云えるかもしれなかった。 本多はこの問題をこれ以上ほじくり返して、古代思想の闇の奥へ沈む気にはなれなかったが、法律学徒として、法を確立する側に立ちながら、どうしても現在の実定法への懐疑と或る疾ましさから脱け切れず、目前の実定法の煩瑣な黒い枠組と二重写しに、自然法の神的な理性や、マヌの法典の根本思想の、たとえば澄明な青い昼の空や、いちめんに星のきらめく夜空の、広大な展望をときどきは必要とするということを発見していた。 法律学とは、まことにふしぎな学問だった! それは日常些末の行動まで、洩れなくすくい上げる細かい網目であると同時に、果ては星空や太陽の運行にまでむしゃらその大まかな網目をひろげてきた、考えられるかぎり貪欲な漁夫の仕事であった。 読書に耽って時の移るのを忘れていた彼は、もうそろそろ床に入らなくては、明日寝不足の不機嫌な顔で、清顕の招待に行くことになるのを怖れた。 あの美貌で謎のような友人のことを思うと、彼は自分の青春がいかに平板にすぎてゆくかという予測に、おののかずにはいられなかった。 彼はまた祇園のお茶屋で、座蒲団をボール代りに丸めて、大ぜいの舞妓たちとお座敷ラグビーに興じたという、別の学友の自慢話などをぼんやりと思い出した。 それから、本多一族にとっては驚天動地の大事件だが、世間の目から見れば何でもないような、この春に起った一つの挿話を思い出した。 祖母の十年忌の法要が日暮里の菩提寺で行われ、参列した親戚の者たちが、そのあとで本家の本多家に立寄った。 繁邦の又従兄妹に当る房子という娘が、客のなかでも一等若くて、美しくて、陽気であった。 本多家のくすんだ空気のなかで、こんな娘の高い笑い声が洩れるのさえふしぎに思われた。 法事と云っても死者の記憶は遠く、久々に集まった親戚同士のたのしい話は尽きず、人々は仏のことよりも、それぞれの家族に新たに加わった幼ない者たちのことを、おのがじし語りたがった。 三十人からの人たちが、本多家のあの部屋この部屋をめぐって、どの部屋へ行っても本ばかりなのにあらためて呆れていた。 数人の者が、繁邦の書斎を見たいと言い出し、上って来て、彼の机辺をかきまわした。 そのうちに誰からともなく次々と部屋を去り、房子と繁邦だけが残された。 二人は壁際に置かれた革張りの長椅子に掛けていた。 繁邦は学習院の制服だったが、房子は紫の振袖を着ていた。 人がみな行ってしまうと二人はぎこちなくなり、房子のさしもの朗らかな高笑いも絶えた。 繁邦は房子に何か写真帖のようなものを見せてもてなそうと思ったが、生憎そんなものはなかった。

§33

しかも房子は急に不機嫌になったかのようであった。 今まで繁邦は、房子のあんまり活気に充ちすぎた体つきや、たえずけたたましく笑うことや、一つ年上の繁邦をからかうような口ぶりや、よろずに落ちつきのない挙措が好きではなかった。 房子には夏のダリヤの重く暑い美しさがあったけれども、自分は決してこういう種類の女を、妻にすることはあるまいと私かに思っていた。 「疲れた。 ねえ、疲れない、繁兄さま? 」そう言ったかと思うと、房子の胸高の帯のあたりが、壁が崩れるように俄かに崩れ、繁邦の膝には、突然そこへ顔を伏せた房子の香りの高い重みがかかった。 繁邦は困惑して、膝から腿へかかっているその重いなよやかな荷を見下ろしていた。 ずいぶん永い間そうしていたようである。 そんな状況を、どう変える力も自分にはないような気がしたから。 そして房子も、一度又従兄の紺サージのズボンの腿に、そうして頭を委ねたからには、二度とそれを動かす気はないように見えた。 そのとき襖をあけて、母と伯父伯母がいきなり入って来たのである。 母は顔色を変え、繁邦の胸は軋った。 しかるに房子はゆるゆると瞳をそちらへ向けると、それからひどくだるそうに頭をもたげた。 「私、疲れて頭痛がいたしますの」「おや、それはいけませんね。 お薬を差上げましょうか」と愛国婦人会の熱心な役員は、篤志看護婦のような口調で言った。 「いいえ、お薬をいただくほどではありませんけれど」――この挿話は親戚中の話題になり、幸い繁邦の父の耳にだけは入らなかったが、彼は母からひどく叱責され、房子は房子でもう決して本多家を訪れることができなくなった。 しかし本多繁邦は、いつまでも、そのとき自分の膝の上に経過した、熱い重い時間のことをおぼえていた。 あれは房子の体と着物と帯の重みが悉くかかっていた筈なのに、美しい複雑な頭部だけの重みのように思い出された。 女のゆたかな髪に包まれた首は、香炉のように彼の膝へのしかかり、しかもそれが繁邦の紺サージをとおして、たえず燃焼しているのが感じられた。 あの熱さは、あの遠い火事のような熱さは、何だったのだろう。 房子はその陶器のなかの火でもって、何か言いようのない過度の親しみを語っていた。 それにしてもその頭部の重みは、苛酷な、非難するような重みであった。 房子の目は? 彼女は斜めに顔を伏せていたので、彼はすぐ眼下に、自分の膝の上に、傷つきやすい潤んだ小さな黒い滴のように留まっている彼女のみひらいた目を見ることができた。 それはひどく軽く、かりそめにそこにとまった蝶のようだった。

§34

長い睫の目ばたきは蝶の羽ばたき。 その瞳は趣のふしぎな斑紋。 あんなに誠実のない、あんなに近くにいながらあんなに無関心な、あんなに今にも飛び翔ってゆきそうな、不安で、浮動的で、水準器の気泡のように、傾斜から平衡まで、放心から集中まで、とめどなくゆききする目を、繁邦は見たことがない。 それは決して媚びではない。 さっき笑って喋っていたときよりも、眼差はずっと孤独になり、彼女のとりとめのない内部の煌めきの移りゆきを、無意味なほど正確に写し出しているとしか見えなかった。 そしてそこにひろがる迷惑なほどの甘さと薫りも、決してことさらな媚びではなかった。 ……すると、その無限に近いほど長かった時間を隈なく占めていたものは、あれは何だったのであろうか? 八帝国劇場の十一月中旬から十二月十日にかけての本興行は、評判の女優劇ではなく、翫幸、幸四郎などの歌舞伎であって、外国人の客にはそのほうがいいと思って清顕が選んだのだが、彼は格別歌舞伎についてよく知っているわけではなかった。 出し物の「ひらかな盛衰記」も「連獅子」も、彼には耳馴れない芝居であった。 そのために本多を誘ったようなものであるが、本多は学校の昼休みにちゃんと図書館でこれらの演目について調べて来ており、シャムの王子たちに説明する準備も出来ていた。 もとより王子たちにとっては、異国の芝居を見ることは、好奇心以上のものではなかった。 その日、学校が退けると、すぐ清顕は本多を伴って家へかえり、王子たちにはじめて紹介された本多は、かいつまんで今夜見るべき芝居の筋を英語で話したが、王子たちはそれほど身を入れてきている様子もなかった。 清顕は友の忠実とこのような生真面目さに、一種のすまなさと憫笑を同時に感じていた。 誰にとっても今夜の芝居は、それ自体がすばらしい目標ではなかった。 ただ、清顕は、もしかして万一聡子が、約束を破って手紙を読んでいるのではないかという不安のために、心もそらになっていた。 執事が馬車の用意の調ったことを告げた。 馬は冬の夕空へ嘶きを立て、白い鼻息を吐いた。 冬は馬の匂いも稀薄で、凍った地面を蹴立てる蹄鉄の音が著く、清顕はこの季節の馬にいかにも厳しくたわめられている力を喜んだ。 若葉のなかを疾駆する馬はなまなましい獣になるけれど、吹雪を駆け抜ける馬は雪と等しくなり、北風が馬の形を、渦巻く冬の息吹そのものに変えてしまうのだ。 清顕は馬車が好きだった。 とりわけ心に不安のあるときには、馬車の動揺が不安独特のしつこい正確なリズムを乱してくれるからで、又、すぐ身近に馬よりももっと裸かな馬の尻にふり立てられる尾を感じ、怒る鬣や銜噛みに泡立ちつややかな糸をなびかせる唾を感じ、そういう獣的な力にすぐ接している車内の優雅を併せ感じるのが好きだった。 清顕と本多は制服と外套を着、王子たちは大げさに毛皮の襟のついた外套を着て寒がっていた。 「僕たちは寒さに弱い」とパッタナディド殿下は、つきつめた目つきで言った。 「スイスへ留学した親戚の者を、あの国は寒いぞ、とおどかしたことがあるけれど、日本がこんなに寒いとは思わなかった」「もうじきお馴れになりますよ」とすでに親しみを深めた本多が慰めた。 インバネスを着た人たちが歩く町なかに早くも歳末大売出しの幟がはためき、王子たちはそれを何かのお祭かと質問した。

§35

王子たちの目もとには、この一日二日ですでに青黛のような郷愁がにじんでいた。 それが陽気でいくらか軽躁なクリッサダ殿下にさえ、一種の風情を添えた。 もちろん清顕のもてなしを無にするような我儘なあらわれはなかったが、清顕は彼らの魂が身を離れて、大洋の只中へ漂ってゆくような感じを不断に持った。 それはむしろ快かった。 すべてが肉体の現存にとじこめられて、浮動することのない心は、彼には鬱陶しいものに思われたからである。 日比谷のお濠端の冬の早い夕暮のうちに、帝国劇場の白煉瓦の三階建がゆらめいて近づいた。 一行が着いたときは、すでに最初の新作物の幕があいていたが、清顕は自席から二三列斜めうしろに、老女蓼科と並んで坐っている聡子の姿を認め、つかのまの目礼を交わした。 そこに聡子が来ていたこと、彼女が瞬間ににじませた微笑が、清顕にすべてが恕されたという感じを与えた。 何やら鎌倉時代の武将たちが右往左往するその一幕は、幸福のために、清顕の目には霞んで見えた。 不安から解放された自尊心は、自分の輝きの反映をしか舞台に見なかった。 『今夜、聡子はいつにもまして美しい。 彼女は化粧を等閑にしては来なかった。 僕が願ったがままの姿でここへ来てくれた』そう何度も心にくりかえしながら、聡子のほうへ振向くことはできないというこの事態、しかも、たえず背中に彼女の美しさを感じているというこの事態、それは何という望ましい事態であったろう! 安心で、豊かで、やさしく、何もかも存在の摂理に叶っていた。 今夜清顕が要求しているのは聡子の美しさだけであって、こんなことは今までになかった。 思えば清顕は、ただ美しい女として聡子を考えたことはない。 彼女が表立って攻撃的であったためしはないのに、いつも針を含んだ絹、粗い裏地を隠した錦、その上清顕の気持もかまわずに彼を愛しつづけている女、という風に感じていた。 静かな対象として心の中に決して横たわることのない、いらいらと自分本位に昇る朝陽の、その批評的な鋭い光りが隙間からさし入って来ないように、彼は心の雨戸を堅固に閉ててきたのである。 幕間になった。 物事はすべて自然に運んだ。 彼はまず本多に、聡子が偶然来ていることを囁いたが、ちらと目をうしろへ移した本多が、もはやその偶然を信じていないことは明らかになった。 その目つきを見て、却って清顕は安心した。 誠実を求めすぎない友という、清顕の理想とする友情を、その目はまことに能弁に語っていた。 人々は賑やかに廊下へ出た。 シャンデリヤの下をとおって、お濠と石垣の夜がすぐ真向いに見える窓の前に集まった。

§36

清顕はいつに似ず、昂奮に耳をほてらして、聡子を二人の王子に紹介した。 もちろん冷然たる態度でそうすることもできたのだが、礼儀上、王子たちが恋人のことを語るときの、あの子供っぽい熱情の有様を模してみせたのである。 こうまで人の感情を自分のもののように模写できるのを、彼は今の安堵したひろびろとした心の自由のせいだと疑わなかった。 自然な感情は陰鬱で、それから遠く離れれば離れるほど、こうも自由になれるのだ。 なぜなら自分は、聡子を少しも愛していないから。 恭しく柱のかげへしりぞいた老女蓼科は、外国人に対して素直な心をひらいてみせない決心を、その梅の刺繍のついた半襟の固く合わせた衿元に示していた。 清顕はそのため蓼科が、声高に招待のお礼などを言わないことに満足した。 美しい女の前ではすぐ快活になる王子たちは、同時に、清顕が聡子を紹介したときの、一種特別な調子にもすぐ気づいていた。 それが自分の素朴な熱情のことさらな模写だとは夢にも知らぬジャオ・ピーは、そんな清顕に、はじめて正直な自然な若者らしさを見出して、親しみを感じた。 本多は、聡子が少しも外国語を喋らないのに、二人の王子の前で、へりくだりもせず高ぶりもしない、気品のある態度を持しているのに心を搏たれた。 四人の青年に囲まれて、京風の三枚重ねを寛々と着こなした聡子は、立華のような、花やかで威ある姿をしていた。 王子たちがこもごも聡子に英語で問いかけ、清顕が通訳をしたが、そのたびに同意を求めるように清顕へ向ける聡子の微笑が、あまりみごとに役割を果しているので、又清顕は不安になった。 『たしかにあの手紙を読んでいないのだろうか』いや、もし読んでいたら、決してこんな態度がとれる筈はない。 第一、ここへ来られる筈もない。 電話のときに届いていなかったのは確かなことだが、届いたあとで読まなかったかどうかの確証はない。 どのみち「読まなかった」という返事の返ってくるに決っているその質問を、どうしても敢てする勇気のない自分に、清顕は腹を立てた。 一昨日の晩のあの明るい応待の声と比べて、聡子の声、聡子の表情に、何か際立った変化はないかと、彼はそれとなく目をつけはじめた。 又、心に砂が滴ってきた。 冷たく見えるほどに高くはないが、象牙の雛のように整った形の鼻をした聡子の横顔は、ごくゆるやかな流し目のゆききにつれて、照り映えたり翳ったりした。 ふつうは下品だと思われている流し目が、彼女の場合はかすかに遅くて、言葉の端が微笑へ流れ、微笑の端が流し目へ移るという風に、表情全体の優雅な流動の裡に包まれているので、見ている人に喜びを与えた。 その幾分薄目な唇にも美しいふくらみが内に隠れ、笑うたびにあらわれる歯は、シャンデリヤの光りの余波を宿し、潤んだ口のなかが清らかにかがやくのを、細いなよやかな指の連なりが来て、いつも迅速に隠した。 王子たちが誇大なお世辞を言い、清顕の通訳で聡子が耳朶を赤らめたときに、髪の下からわずかにあらわれている、肉のさわやかな雨滴のような形の耳朶が、一体羞らいのために赤らんだのか、それとももともとそこに刷いた紅のためか、清顕には見分けがつかなかった。 しかし、何ものも隠すことができないのは、彼女の瞳の光りの或る勁さだった。 そこに依然清顕を怖れさせる、ふしぎな、射貫くような力が具わっていた。 それがこの果実の核であった。

§37

「ひらかな盛衰記」の開幕のベルが鳴った。 一同はおのがじし席へ戻った。 「僕が日本へ来て見たなかで一番美しい女の人だ。 君は何という仕合せ者だろう! 」と通路を並んで入りながら、ジャオ・ピーは声をひそめて言った。 このとき彼の目もとの郷愁は癒やされていた。 九松枝家の書生の飯沼は、六年あまり勤めているうちに、少年の日の志も萎え、怒りも衰えてゆくのを、その昔の怒りとはちがった、冷え冷えとした別種の憤りで、なすこともなく眺めている自分に気づいた。 松枝家の新らしい家風そのものが、彼をそう変えたのはむろんのことだが、本当の毒の源は、まだ十八歳の清顕にあった。 その清顕も近づく新年には、十九歳になろうとしていた。 彼をよい成績で学習院を卒業させ、やがて二十一歳の秋には、東京帝国大学の法学部へ進ませれば、飯沼の勤めは終るべき筈であるが、ふしぎなのは侯爵も、清顕の成績をやかましく言わないことであった。 今のままでは、東京帝大法科大学への進学は覚束ない。 華族の子弟に限って学習院から無試験入学の道がひらかれている京都帝大あるいは東北帝大へ進むほかはない。 清顕の成績はつねに程々のところに浮遊していた。 勉強に精を出すではなく、さりとて運動に打込むではない。 もし目ざましい成績をあげていれば、飯沼にも誉れが及んで、郷党の讃嘆を受けることになろうが、はじめあせった飯沼もあせりを忘れた。 どう転ぼうと、清顕が未来は少くとも貴族院議員になることは知れているのだ。 その清顕が、学校では首席にちかい本多と近しく、本多が又、それほど親しい友でありながら、何ら有益な影響を及ぼさず、むしろ清顕に対する讃美者の側に廻って、おもねるような交際をつづけているのが、飯沼には腹立たしかった。 もちろんこういう感情には嫉妬がまじっていた。 本多はともあれ学友として、ありのままの清顕を認めることのできる立場にいるが、飯沼にとっては、清顕の存在そのものが、二六時中鼻先へつきつけられている美しい失敗の証跡だった。 清顕のその美貌、その優雅、その性格の優柔不断、その素朴さの欠如、その努力の放棄、その夢みがちな心性、その姿のよさ、そのしなやかな若さ、その傷つきやすい皮膚、その夢みるような長い睫は、たえず飯沼のかつての企図を、これ以上はないほど美しく裏切っていた。 彼は若い主人の存在そのものが、絶えずひびかせている嘲笑を感じた。 こうした挫折の歯噛み、失敗の痛みは、あんまり永く続くうちに、一種の崇拝に似た感情へ人をみちびくものだ。 彼は人から清顕について非難がましいことを言われるとひどく怒った。 そして自分でもわからない理不尽な直感によって、若い主人の救いがたい孤独を理会していた。 清顕がともすれば飯沼から身を遠ざけようとしてきたのも、飯沼の内にあまりにもしばしば、こんな飢渇を見出したからにちがいない。

§38

松枝家の大ぜいの使用人のなかで、こうも無礼なあからさまな飢渇を、目に湛えているのは飯沼一人であった。 来客の一人がこの目を見て、「失礼だが、あの書生さんは、社会主義者ではありませんかね」と尋ねたとき、侯爵夫人は声を立てて笑った。 彼の生い立ちと、日頃の言動と、毎日「お宮様」に参詣を欠かさないことを、よく知っていたからである。 対話の道を絶たれたこの青年は、毎朝早く必ず「お宮様」に詣でて、ついにこの世で会うことのなかった偉大な先代に、心の中で語りかけるのを常としていた。 むかしは端的な怒りの訴えであったのが、年を経るにつれて、自分でも限度のわからない厖大な不満、この世をおおいつくすほどの不満の訴えになった。 朝は誰よりも早く起きる。 顔を洗い、口をすすぐ。 紺絣の着物と小倉の袴で、お宮様へ向うのである。 母屋の裏の女中部屋の前をとおって、神林の間の道をゆく。 霜柱が地面をふくらませ、下駄の朴歯がこれを踏みしだくと、霜のきらめく貞潔な断面があらわれた。 檜の茶いろの古葉のまじる乾いた緑の葉のあいだから、冬の朝日が砂のように布かれ、飯沼は吐く息の白さにも、浄化された自分の内部を感じた。 小鳥の囀りは稀薄な青い朝空から休みなく落ちた。 胸もとの素肌を、発止と打ってくる凜烈な寒さのうちに、心をひどく昂ぶらせるものがあって、彼は『どうして若様を伴って来られないのか』と悲しんだ。 こういう男らしい爽やかな感情をただの一度も清顕に教えることができなかったのは、半ばは飯沼の越度であり、清顕をむりやりこの朝の散歩へ連れ出すような力を持つことができなかったのも、半ばは飯沼の科であった。 六年間のあいだに、彼が清顕につけた「良い習慣」は一つもなかった。 平らな丘の上へのぼると、林は尽きて、ひろい枯芝と、その中央の玉砂利の参道のはてに、お宮様の祠、石灯籠、御影石の鳥居、石段の下の左右の一対の大砲の弾丸などが、朝日を浴びて整然と見える。 早朝のこのあたりには、松枝家の母屋や洋館をめぐる奢侈の匂いとはまったくちがった、簡浄の気があふれている。 新らしい白木の枡のなかに入ったような心地がする。 飯沼が子供のころから美しいもの善いものと教えられたものは、この裡では死の周辺にしかないものである。 石段をのぼって社前に立ったとき、榊の葉の光りを乱して、赤黒い胸を隠見させている小鳥を見た。 鳥は杯を打つような声を立てて眼前に翔った。 飜らなかった。 『御先代様』と飯沼はいつものように、合掌しながら、心の中で語りかけた。 『何故時代は下って今のようになったのでしょう。 何故力と若さと野心と素朴が衰え、このような情ない世になったのでしょう。

§39

あなたは人を斬り、人に斬られかけ、あらゆる危険をのりこえて、新らしい日本を創り上げ、創世の英雄にふさわしい位にのぼり、あらゆる権力を握った末に、大往生を遂げられました。 あなたの生きられたような時代は、どうしたら蘇えるのでしょう。 この軟弱な、情ない時代はいつまで続くのでしょう。 いや、今はじまったばかりなのでしょうか? 人々は金銭と女のことしか考えません。 男は男の道を忘れてしまいました。 清らかな偉大な英雄と神の時代は、明治天皇の崩御と共に滅びました。 あれほど青年の精力が残る隈なく役立てられた時代は、もう二度と来ないのでしょうか? そこかしこにカフェーというものが店開きをして客を呼んでいるこの時代、電車の中で男女学生間の風儀が乱れるので、婦人専用車が出来たというこの時代、人々はもう、全力をつくし全身でぶつかる熱情を失ってしまいました。 葉末のような神経をそよがすだけ、婦人のような細い指先を動かすだけです。 何故でしょう。 何故こんな世の中が来たのでしょう。 清いものが悉く汚れる世が来たのでしょう。 私が仕えている御令孫は、正にこういう弱々しい時代の申し子になられ、私の力も今は及びません。 この上は死して私の責を果すべきでしょうか? それとも御先代様は深い御神慮により、ことさらこうなりゆくように、お計らいになっておられるのでしょうか? 』しかし、寒さも忘れてこの心の対話に熱してきた飯沼の胸もとには、紺絣の襟から胸毛の生えた男くさい胸がのぞき、自分には清らかな心に照応する肉体が与えられていないことを彼は悲しんだ。 そして一方、あのような清麗な白い清い肉体の持主の清顕には、男らしいすがすがしい素朴な心が欠けていた。 飯沼はそういう真剣な祈りの最中に、体が熱してくるにつれて、凜とした朝風をはらむ袴のなかで、急に股間が勃然とするのを感じることがあった。 彼は社の床下から箒をとり出し、狂気のようにそこらを掃いて廻った。 十年が改まって間もなく、飯沼が清顕の部屋へ呼ばれてゆくと、そこに聡子の家の老女の蓼科がいた。 すでに聡子は年賀に来ており、今日は蓼科が一人で年賀に来て、京の生麩を届けたついでに、ひそかに清顕の部屋に来たのであった。 飯沼は蓼科をうすうすは知っていたが、そこではじめて正式に引合わされた。 そして引合わされる理由を解しなかった。 松枝家の新年は盛大で、鹿児島から数十人の代表が、旧藩主の邸のあとで松枝邸へ年始に来、黒塗りの格天井の大広間で、星ヶ岡の正月料理が供され、田舎の人の味わうこと稀なアイスクリームやメロンが食後に出されるので名高かったが、今年は大帝の喪を憚って、わずか三人が上京しただけであった。

§40

そのなかに先代から目をかけられていた、飯沼の出身中学の校長もまじっており、飯沼は侯爵から盃をいただく折に、校長の面前で、「飯沼がよくやっている」という侯爵の言葉も、判で捺したように決っていたが、飯沼にはとりわけ今年のその儀式が、人数の少いせいもあって、実のない、空疎な、形骸だけのものと感じられた。 主に侯爵夫人を訪ねる女礼者の席には、もちろん飯沼は罷り出る例はなかった。 そして又年寄にもせよ女の賀客が、若主人の書斎を訪れるのは異例であった。 黒紋附の裾模様を着た蓼科は、威儀を正して椅子に坐っていたが、清顕のすすめるウイスキーに酔って、その乱れもなく結い上げた白髪の下の、京風の厚化粧の白い額に、雪の下の紅梅のような酩酊の色を見せていた。 話はたまたま西園寺公爵のことに触れていて、蓼科は飯沼から目を戻すと、ただちにその話に戻った。 「西園寺様はお五歳のお年から、お酒も煙草もたしなまれたそうでございます。 お武家ではお子たちにきびしい躾をなさいますが、公家では、若様も御存じ寄りのように、お小さいときから、親御は何も仰言らないのでございますね。 それというのも、お子たちもお生れになったときから五位様で、いわばお上の御家来をお預りしているようなものでございますから、親御はお上に遠慮して、わが子にきびしくなさらない。 その代り、家族のあいだであけすけにお上の噂を申し上げるようなことは決してございません。 そういうわけで、うちのお姫様なども、お上のことを心から大切に思っておいででございます。 もっとも異人のお上まで大切になさることはございますまいに」と蓼科はシャムの王子たちへの歓待について皮肉を言い、それからいそいで附加えた。 「もっともそのおかげで、ほんに久々に、しばやを見せていただきまして、寿命が延びたような気がいたしました」清顕は蓼科が喋るがままにさせておいた。 この部屋へわざわざ老女を呼んだのは、あれ以来心にわだかまっていた疑問を晴らしたいと思ったからで、彼は酒をすすめると早々、自分が聡子へ出した手紙を、封を切らずに火中してくれたかどうかを尋ねたが、蓼科の返事は思いのほかはっきりしていた。 「ああ、あれでございますか。 お電話のあとすぐお姫様からお話を伺いまして、あくる日お手紙が届くやいなや、この私が封を切らずに火中いたしました。 そのことでございましたら、どうぞ御放念下さいまし」これをきいた清顕は、藪の下道から俄かにひろい野原へ走り出た心地がして、目の前にさまざまの喜ばしい企らみを描いた。 聡子が手紙を読まなかったということは、すべてが旧に復したというだけのことであるのに、彼には新らしい眺めがそこに展けたような気がした。 聡子こそ、鮮やかに一歩を踏み出していた。 毎年彼女が年賀に来るのは、親戚じゅうの子供が松枝家に集まる日で、侯爵は二、三歳から二十代までのそれらの客の父親を気取り、その日だけはどの子とも親しく口をきいたり相談に乗ってやったりした。 聡子は馬を見たいという子供たちについて、清顕の案内で厩へ行った。 注連飾りをした厩では四頭の馬が、飼葉桶に首をさし入れては急激にふり上げたり、退いて羽目板を蹴ったり、勢い立った様子でその滑らかな背から、新らしい年の精気を迸らせていた。 子供たちは各々の馬の名を馬丁からきいて喜び、手にしっかりと握りしめてきた半ば崩れた落雁を、馬の黄ばんだ臼歯を目がけて、投げ込んでやったりしていた。 馬の落着かぬ血走った横目に睨まれて、子供らは大人のように扱われているうれしさを感じた。 馬の口から糸を引いて騒いでいる嘶きをおそれ、聡子は遠くの黐の木の暗い常緑のかげにいたので、清顕も子供たちを馬丁にあずけてそのそばへ行けた。 聡子の目もとは屠蘇の酔をなお留めていた。

§41

そこで彼女が子供たちの歓声にまぎれて言った次のような言葉は、酔のせいかとも思われた。 聡子は、近づいてくる清顕を、すぐさまその放恣な目にとらえて、流れるようにこう言ったのである。 「この間は愉しゅうございましたわ。 私をまるで許婚のように紹介して下さってありがとう。 王子様方はこんなお婆さんがお愕きになったでしょうけれど、あのひとときで私はもう、いつ死んでもいいような気がいたしました。 あなたはあんなに私を仕合せにして下さる力がおありになるのに、めったにその力をお使いにならないのね。 私はこんな仕合せな新年は存じません。 今年はきっといいことがありますね」清顕は何と言葉を返すべきか迷っていた。 やっとかすれた声でこう答えた。 「どうしてそんなことが言えるんです」「仕合せなときは、まるで進水式の薬玉から飛び立つ鳩みたいに、言葉がむやみに飛び出してくるものよ、清様。 あなたも今におわかりになるわ」又しても聡子は、こんな熱情の表白のあとに、清顕の大きらいな一句を挿んだ。 「あなたも今におわかりになるわ」。 何というその予見の自負。 何というその年上ぶった確信。 ……数日前にその言葉をきき、今日は蓼科からはっきりした返事をきいて、残る隈なく晴れた清顕の心は、新らしい年の吉兆に充ちあふれ、いつになく夜々の暗い夢は忘れて、明るい昼間の夢と希望へ傾いた。 そこで身にそぐわぬ磊落な振舞に出ようとし、身辺から影と悩みを払拭して、誰も彼も幸福にしてやろうと思うようになった。 人に施す恩恵や喜捨は、精妙な器械を扱うように、熟練を要するものであるが、清顕はそういうとき人並外れて軽率になった。 しかし飯沼を部屋へ呼んだのは、彼が身辺の影を拭い去って、飯沼の明るい顔を見たくなったという善意ばかりではない。 多少の酔いがこの清顕の軽率を助けていた。 その上、蓼科という老女の、ひどく丁重で、礼儀と恭しさの固まりのように見えながら、あたかも何千年もつづいた古い娼家の主のような、官能の煮凝りをその皺の一つ一つに象嵌した風情が、かたわらにあって彼の放恣をゆるしていた。 「勉強のことは飯沼が何もかも教えてくれたんですよ」と清顕はわざと蓼科に向って言った。 「でも飯沼が教えてくれないこともいっぱいあるし、事実、飯沼が知らないこともいっぱいあるらしいんです。 ですからその点は、これから蓼科が飯沼の先生になってくれる必要がありますね」「何を仰言います、若様」と蓼科は慇懃に応じた。 「こちらはもう大学生でいらっしゃるんだし、私共のような無学な者がとてもそんな……」「だから、学問のことなら何も教えることはないと言っているでしょう」「年寄をおからかいになってはいけません」会話は飯沼を無視してつづけられた。 椅子をすすめられないので、飯沼は立ったままである。

§42

目は窓外の池を見ている。 曇った日で、中ノ島のあたりに鴨が群がり、頂きの松の緑もさむざむと見え、島は枯草におおわれた様があたかも蓑を着たようである。 はじめて清顕に言われて、飯沼は小椅子に浅く腰を下ろしたが、果してそれまで清顕が気がついていなかったか疑問に思われた。 多分彼は蓼科の前に、おのれの威を示そうとしてそうしたにちがいない。 そしてそういう清顕の新らしい心のうごきは、飯沼には好もしかった。 「そこでね、飯沼、さっき蓼科が女中たちのところで話して来たときに、何げなくきいたという噂だが……」「あ、若様、それは……」と蓼科が大仰に手を振って止めたが、間に合わなかった。 「お前が毎朝お宮様へ詣るのは、別の目的があってのことだそうだね」「別の目的と云われますと? 」と飯沼は早くも顔に緊張をあらわし、膝に置いた拳は慄えていた。 「およしあそばしませ、若様」と老女は椅子の背へ、陶器の人形を倒したように身を委ねた。 心の底からの困惑をあらわしてそうしたのだが、明瞭すぎる二重瞼の目は薄く鋭利にひらかれ、快楽はそのよく合わない入歯の口もとの弛みににじんでいた。 「お宮様へ行く道は母屋の裏手とおるから、当然女中部屋の格子窓のところを通るわけだね。 お前はそこから毎朝みねと顔を見合わせ、おとといはとうとう、その窓格子から、みねに附文をしたそうじゃないか」清顕の言葉をおわりまできかずに、飯沼は立上った。 感情を押え込もうとする格闘が、蒼白になった顔にあらわれて、顔のこまかい筋肉が悉く軋みを立てているかのようだ。 いつも影のような彼の顔が、こうして暗い火花を孕んで炸裂しそうに見えるのを、清顕はうれしく眺めた。 彼が苦しんでいるのを百も承知で、清顕はその醜い顔を幸福の顔だと考えることにした。 「本日限り、……お暇をいただきます」そう言い放つと、飯沼は足早に部屋を出ようとする。 それを引止めるために身を躍らせた蓼科の動きの早さが、清顕の目を瞠らせた。 様子ぶった老女は、一瞬、豹のような動きを示したのである。 「ここをお出になってはいけません。 そういうことをなさったら、私の立場はどうなります。 私が要らぬ告げ口をして、他家の御家来にお飯をとらせたということになれば、私も四十年前お勤めしていた地来の御家来を断るとらせたということになれば、静かに後先を考えて下さらなくてはなりません。 おわかりですね。 少しは私を憐れと思召して、居りますが、そこがまたお若い方のおよさなのでですから、仕方がありませぬ。 年寄の静かな嘆息の慰料は実に簡にして要を得た説得を、飯沼の袖をつかみながら、形にしてやってのけた。 それは蓼科が生涯に何十べんとなくやってきて習熟したやり方で、そのとき彼女は世界で自分が一番必要とされていることをよく知っていた。

§43

何喰わぬ顔でこの世の秩序を裏側から維持してゆく者の自信は、大切な儀式の最中に綻びる客人のふし忘れる筈のない祝辞の草稿が失くなっていたりする、物事のふしぎな起り具合を常態でいるところから生れていた。 彼女にとってはむしろそんな起りそうもない事態が常態であり、その機械な精い手であることに、自分の不測の役割を賭けていた。 この落着いた女には、この世で絶対に安全なものなどはなかったのだ。 雲一つない青空にさえ、思いもかけぬ熱の一閃が、時ならぬ鍵裂きを作ったりするからには。 そして蓼科の繕い仕事は、手早く、手堅く、要するに申し分がなかった。 飯沼はあとになってしばしば考えたが、一瞬の躊躇が、人のその後の生き方をすっかり変えてしまうことがあるものだ。 その一瞬は多分白紙の鋭い折目のようになっていて、躊躇が人を永久に包み込んで、今までの紙の表は裏になり、二度と紙の表へ出られぬようになってしまうのにちがいない。 清顕の書斎の戸口で蓼科にすがりつかれて、飯沼はそういう、一瞬の躊躇をした。 それでおしまいだった。 彼のまだ若い心には、自分の附文をみねが笑ってみんなに示したのか、それともそれが計らずも人目についてみねを悲しませたのか、という疑問が、そのとき波間を切る魚の浮標のように鋭く走った。 清顕は、小椅子に戻ってきた飯沼を見て、最初の、ささやかな勝利を感じた。 もう自分の善意を飯沼に伝えることは諦めていた。 思うがままに、自分ひとりの幸福感が強いるままに動けばよいのだ。 彼は今、実に大人らしく、実に優雅に振舞うことのできる自由を感じた。 「僕がこんなことを言い出したのは、何もお前を傷つけるためでもないんだ。 お前のために蓼科と二人で計ろうとしているのか、このことは、お父様には決して言わない。 決してお耳に入らぬように努力するよ。 今後このことについては、蓼科がいろいろと智恵を授けてくれると思う。 ねえ、蓼科、そうだね。 みねはうちの女中で一等別嬪だけれど、それだけに、一寸問題がある。 でも、それについては僕に任せてくれ」飯沼は追いつめられた密偵のように、目ばかり光らせて、清顕の言葉を一語も聴きのがさずに、しかも自分は頑なに黙っている。 その言葉の端々に、掘り返せばいくらでも不安の源湧き出てきそうな部分がある。 それを掘り返さずに、ただ言葉のままに、こちらの心に彫り込もうとしているのである。 いつになく闊達に話しつづける年下の青年の顔が、飯沼にとって今くらい主人らしく見えたことはなかった。 それはたしかに飯沼の望んだ成果であったが、これほど意想外の、これほど情ない成行を辿って、叶えられるとは思ってもみなかった。

§44

飯沼はこうして清顕に打ち負かされるのが、自分の内なる肉慾に打ち負かされるのと、まるで同じに感じられるのを訝った。 さっきのつかのまの躊躇のあとでは、何か自分が久しく恥じていた快楽が、急に公明正大な、忠実や誠心と結びつけられたような気がした。 そこにはきっと罠があり、詐術があった。 しかし居たたまれぬほどの恥かしさと屈辱の底から、小さな金無垢の扉が着実にひらいた。 蓼科は葱の白い根を思わせる声音でこう相槌を打った。 「何もかも若様の仰言るとおりでございますわ。 お若くていらっしゃるのに、ほんにしっかりした考えをお持ちだと」この飯沼とは正反対の意見を、飯沼の耳は今、何のふしぎもなく聴いていた。 「でもその代りに」と清顕は言った。 「これからは飯沼も、むつかしいことは言わずに、蓼科と力をあわせて、僕を助けてくれなければいけない。 僕はそうしてお前の恋を助ける。 みんなで仲良くやるのだ」十一清顕の夢日記。 「このところシャムの王子たちとは会う折も少いのに、どういうものか、今ごろになって、シャムの夢を見た。 それも自分がシャムへ行っている夢である。 ……自分は部屋の中央の立派な椅子に、身動きもできず掛けたままである。 その夢の中の自分はいつも頭痛がしている。 それというのも高い尖った、宝石をいっぱい鏤めた金の冠を戴いているからである。 天井の交錯した梁には、ぎっしりと夥しい孔雀がとまっていて、それらがときどき自分の冠の上へ白い糞を落す。 戸外は灼けつくような日ざしだ。 草ばかりの廃園が、はげしい日を浴びてしんとしている。 音と云っては、かすかな蠅の羽音と、ときどき向きを変える孔雀の固い蹠の音と、その羽づくろいする音だけである。 廃園は高い石の壁に囲まれているが、その壁にはひろい窓があり、そこから数本の椰子の幹と、動かない積雲のまばゆい白い堆積が見えるだけだ。